真田丸・第九話「駆引」(1)甲府に追い詰められた徳川家康は、どれぐらいピンチだったのか?

相模・小田原城で戦況報告を聞く北条氏政 真田丸
相模・小田原城で戦況報告を聞く北条氏政。



「我が軍勢は、徳川方を甲府に追い詰めました」板部岡江雪斎 真田丸
「我が軍勢は、徳川方を甲府に追い詰めました」

と板部岡江雪斎(いたべおかこうせつさい)が報告。
板部岡江雪斎がここまで出てくるドラマもなかなか珍しいのでは(笑)


「家康もこれまでか・・・」北条氏政 真田丸
「家康もこれまでか・・・」

自信満々の北条氏政。


甲斐に入った徳川軍と対決するため南下 地図 真田丸
前回のお話の通り、上杉軍が謀反によって越後に帰ったため、北条軍は甲斐に入った徳川軍と対決するため南下を始めています。


徳川軍は甲斐・新府城に本陣を構えています。 真田丸
一方、徳川軍は甲斐・新府城に本陣を構えています。
新府城は以前の武田家の本拠地だった城ですね。

燃える新府城と可哀想過ぎる武田勝頼参照


「我が軍勢は、徳川方を甲府に追い詰めました」板部岡江雪斎 真田丸
「我が軍勢は、徳川方を甲府に追い詰めました」

ただ板部岡江雪斎がこう言っているのは、やや大袈裟。



尊躰寺(そんたいじ)
ドラマでは特に描写もナレーションもありませんが、北条軍が南下を開始した時点では、徳川軍は甲府の尊躰寺(そんたいじ)に本陣を構えていました。
北条軍の南下を聞いて、尊躰寺から新府城に移動したわけですが、尊躰寺と新府城の距離は20km程度。
尊躰寺から見れば、新府城は北西に位置します。
つまり、距離的に大して移動したわけではありませんし、方角的にも退却したわけでもありません。
むしろ、北条の大軍に積極的に対抗するために、より守りの固い新府城に移動したに過ぎません。
そもそも甲府の尊躰寺から甲府の新府城に移動しただけなのに「甲府に追い詰めました」はおかしいわけで・・・。


徳川家康がアタフタ 真田丸
とは言え、徳川家康がアタフタするにはもちろん理由があります。


「こうなったからには、全軍で正面からぶつかりましょうぞ」本多忠勝 真田丸
「こうなったからには、全軍で正面からぶつかりましょうぞ」

と言うのは本多忠勝。
完全に脳筋キャラですね(笑)


「そんなものは策でもなんでもない!!」本多正信 真田丸
「そんなものは策でもなんでもない!!」

本多忠勝案を一喝する本多正信。





【うんちく解説 : 徳川家康はかなりピンチだった】


現在ドラマで描かれているあたりを天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)といいます。


「越後では家臣が謀反を起こした」上杉景勝 真田丸
「越後では家臣が謀反を起こした」

ドラマでは、この一言を残して越後へ去る上杉景勝ですが、実は公式に北条家と和解しています。

越後で謀反に「人の心は分からぬ」と嘆く、上杉景勝。いやいや言わせないよ~参照


「決めた。ここは兵を退く」北条氏直 真田丸
このため、北条軍は上杉軍を気にせず、主力部隊のほとんどを率いて甲斐に向かうことが出来たのです。
北条軍の兵力は5万程度。
徳川軍が1万程度だったので、その戦力は5倍ほどの差がついています。
徳川家康が慌てるはずですね。


「まさか、こんなに早く北条が向かってくるとは・・・」本多正信 真田丸
「まさか、こんなに早く北条が向かってくるとは・・・」

と本多正信が言っている通り、北条と上杉が争っている間に、甲斐をこっそりと抑えてしまおうというのが、徳川家康の作戦だったはずです。





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