真田丸・第11回「祝言」(3) 母・薫(かおる)は公家(くげ)出身だった?そもそも公家ってなに?

「心もとないのは母上だ」真田信繁 真田丸
「心もとないのは母上だ」

梅ちゃんと祝言を挙げることを反対されると心配する信繁。
側室とは本来、当人同士がどう思うかどうかはともかくとして、子供を生む道具か、性欲のはけ口、または身の回りの世話をする人という程度の社会的な認識でしたから、祝言を挙げるというのは確かに大袈裟ですね。




せっかく落ち着いた新府城を引き払うことに抵抗するお母様 真田丸
現在の真田家当主である真田昌幸の正室・薫から見ると使用人という程度の立場でしょう。


「あの方は確かにうるさそうですね。ご自身が京の公家から嫁がれた方だから」矢沢三十郎 真田丸
「あの方は確かにうるさそうですね。ご自身が京の公家から嫁がれた方だから」

と、矢沢三十郎も同意見の様子。


公家
公家とは日本の貴族のこと。
天皇の家来のことでもあります。
かつては大きな権力を持っていましたが、戦国時代においては天皇共々実力はなく、名前だけの存在になっています。
画像のような、白塗りの人を時代劇などで見たことがあるのではないでしょうか?
これが公家の姿です。
現代人の感覚だとギャグとしか思えませんが、当時の人達はこれを品位ある格好としてやっていたわけです。



現在の皇族の方
現在の皇族の方も、公式の場ではモーニングを着込んでおられますが、今で言うとそういう姿だったわけです。


亡き父武田信玄の霊が勝頼の前に 真田丸
武田信玄も正室は公家の娘でした。
既に実力は無かった公家ですが、当時の人々にとっては、憧れの名家の血筋でしたので、そういう高貴な人と結婚するということは、政治的にも価値のあることでした。
※ただし、武田勝頼はこの正室の子ではありませんが・・・


気高い名家の娘
このような気高い名家の娘が嫁いでくるほどの家であるということを誇示することは、戦国武将にとって、家来たちを従わせる上でも有利だったわけです。


信繁の母・薫が公家の娘であったかは定かではありません 真田丸
ただし、信繁の母・薫が公家の娘であったかは定かではありません。
京都から来たことは確かのようですけども。
まあ、たとえ公家の娘だったとしても、信濃という当時でも田舎の、しかも国衆の真田家に嫁いできたほどですから、それほど家柄が良かったわけではなかったと想像出来ますけどもね。
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