真田丸・第12回「人質」(2) 小牧長久手(こまきながくて)の戦いをもう少し解説。徳川家康は戦わなかった?

「戦に出ていぬお方が、手傷を負うわけがございませぬ」阿茶局 真田丸
戦に出ていぬお方が、手傷を負うわけがございませぬ」

戦(いくさ)の手傷を治療中も、太って鎧が肩に食い込んで、それで傷になったと阿茶局(あちゃのつぼね)に言われる始末(笑)




小牧長久手の戦い 真田丸
さて、ドラマではナレーションとこの地図一枚で流された小牧長久手の戦いですが、もう少し知っておくと、ドラマを見る上で、深みが出て面白いでしょう。


羽柴秀吉が登場 真田丸
本能寺の変後、織田家の領地を引き継いだのは、結局、羽柴秀吉でした。


織田信雄(のぶかつ)
これで窮地に追い込まれたのは織田信雄(のぶかつ)。
彼は織田信長の次男でして、羽柴秀吉の反対勢力の一人でした。
ドラマでは、描かれていませんが、羽柴秀吉に反対する派閥の筆頭である柴田勝家が、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に負けて殺されたことにより、織田信雄は孤立することになります。


阿茶局と徳川家康 真田丸
窮地に立った織田信雄が頼ったのが徳川家康。
徳川家康としても、羽柴秀吉の勢力が大きくなりすぎることに危機感を感じており、織田信雄を助けるべく羽柴秀吉と戦争になったわけです。
つまり小牧長久手の戦いは徳川家康vs羽柴秀吉ではなく、徳川家康と織田信雄の連合軍vs羽柴秀吉だったわけですね。


羽柴秀吉は10万の大軍
織田信長の巨大な領地を引き継いだ羽柴秀吉は10万の大軍。
一方、徳川家康は多くとも3万程度の兵力でした。
戦いはお互いに戦場に基地を作ってのにらみ合いでしたが、羽柴軍が奇襲をかけようとしたのに対して、徳川軍が逆に奇襲をかけて、やっつけています。


「よっしゃぁぁぁ」徳川家康 真田丸
この逆奇襲は徳川家康が直接指揮しており、阿茶局が言うように「戦に出ていない」とは到底言えないでしょうね。
そうでなくとも、大名の徳川家康の役割は、戦場で指揮を取ることで、槍を使って直接敵を殺すことではありませんしねぇ。





織田信雄(のぶかつ)
逆奇襲で勝利を収めた徳川軍ですが、羽柴軍は10万の大軍でしたので、これで決着はつきませんでした。
羽柴秀吉としても、これ以上、この小牧長久手に張り付いているのは、周囲に敵が居る状況で非常にマズいと判断しました。
そこで徳川家康は無視して、織田信雄と直接講和してしまいました。


「沼田の件、ひとつよしなに・・・」徳川家康 真田丸
徳川家康としては、織田信雄に頼まれた形で戦争に発展したので、織田信雄と羽柴秀吉が講和してしまうと、戦う理由が無くなってしまうわけですね。
そういうわけで、戦争はひとまず終結。
こういう終わり方でしたので、ナレーションでも「小牧長久手の戦いで実質的な勝利を収め」という曖昧な言い方になっているわけです。
つまり、実際の戦場では徳川家康は勝ったが、それでも羽柴軍の主力は健在な状況。
そして、戦争は決着することなく、織田信雄と羽柴秀吉の講和が結ばれてグダグダのうちに終結した。
というわけです。


「沼田を貰い受けたい」徳川家康 真田丸
とはいえ、後に天下を取る羽柴秀吉に「負けなかった」こと、むしろ戦場では「勝った」こと、が徳川家康にとっては大きな財産になっていきます。
最強の戦国大名・羽柴秀吉に負けなかった男は、当然、日本で最強だということになるわけですから。
※日本語が矛盾してますね(笑)

ここまで織田信長の実質家来として見られていた徳川家康が、この戦いで一挙に有名になり、後の天下取りの土台を築いた戦いだったわけですね。




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