真田丸・第18回「上洛」(10) 大谷吉継が真田昌幸を「楠木正成(くすのきまさしげ)の再来」とべた褒め!!でも、楠木正成って何者?

「それにしても秀吉めぇ、呼びつけておいて顔も見せぬとは、礼儀を知らぬ大ばか者じゃぁ」真田昌幸 真田丸
「それにしても秀吉めぇ、呼びつけておいて顔も見せぬとは、礼儀を知らぬ大ばか者じゃぁ」

秀吉に拝謁出来なかったことを怒る真田昌幸。
散々上洛を渋ったことはお忘れのようですね(笑)



「真田安房守殿が来ておられると聞いたら、居ても立ってもいられなくなり、つい出てきてしまった」大谷吉継 真田丸
「真田安房守殿が来ておられると聞いたら、居ても立ってもいられなくなり、つい出てきてしまった」

そんな落ち込む真田昌幸の元にやってきたのは、「形部殿(ぎょうぶどの)」こと大谷吉継さん。

【形部】
正式には刑部少輔(ぎょうぶのしょう)。
大谷吉継の官職です。
官職を呼ぶ時に縮めて呼ぶことはよくあったようで、例えば石田三成は治部少輔(じぶしょうゆう)なので、ドラマでも治部殿と呼ばれていますよね。


「上田城で僅か2000の手勢で、7000の徳川を迎え撃ったご武力、楠木正成の再来とも言われる、そのご尊顔、一度拝したく思っておりました」大谷吉継 真田丸
「上田城で僅か2000の手勢で、7000の徳川を迎え撃ったご武力、楠木正成の再来とも言われる、そのご尊顔、一度拝したく思っておりました」

と誉めまくる大谷吉継。
ところで、この楠木正成(くすのきまさしげ)って、誰でしょうか?


大河ドラマ「太平記」の楠木正成
楠木正成は、鎌倉時代末期の頃の人。
真田丸の時代から言うと、300年ほど昔の人です。
※画像は大河ドラマ「太平記」の楠木正成





大河ドラマ「太平記」の足利尊氏
室町幕府を作った足利尊氏と同世代の人。
※画像は大河ドラマ「太平記」の足利尊氏


「勝った!!」真田昌幸 真田丸
真田昌幸と同じく、少数の兵で大軍と戦うのが得意な戦上手です。


大河ドラマ「太平記」の楠木正成
最終的には、足利尊氏と敵対して敗死します。
ただ、後醍醐天皇(楠木正成の当時の天皇)のために戦ったことが後に評価され、幕末の頃には神に近い存在として崇(あが)められることとなります。


大谷吉継 真田丸
もっとも、真田丸の時代はそういった神格化される前ですので、大谷吉継は単に「戦上手」の代名詞として、楠木正成を出したに過ぎないでしょうけども。


「こりゃあ、アイツの仕事じゃ・・・」真田昌幸 真田丸
大軍を城に籠もって撃退した作戦といい、少数の兵力で大軍を打ち破った手腕といい、そのやりようはまさに楠木正成。
真田昌幸を褒めるのにピッタリの言葉だと思いますね。


「どうぞお座りくだされ」真田昌幸 真田丸
「どうぞお座りくだされ」

楠木正成のような名将と並び称さられるなら、真田昌幸としても悪い気がするわけがないですよねぇ。


関連記事

テーマ : 真田丸
ジャンル : テレビ・ラジオ

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
スポンサードリンク01
カテゴリ
プロフィール

うんちく仙人

Author:うんちく仙人
このサイトでは、歴史に興味が無い方でも、歴史ドラマをドラマとして楽しめるように手助けする趣旨で書いております。
特にドラマは好きだけど、歴史はあんまりわかんないという女性の一助になれば幸いです。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
スポンサードリンク02
RSSリンクの表示
リンク