真田丸・第19回「恋路」(4) 聚楽第(じゅらくてい)建設は秀吉の政策転換を示す象徴的な建築物だった

「これが今、京に普請中の聚楽第でございます」石田三成 真田丸
「これが今、京に普請中の聚楽第でございます」

石田三成が差し出した絵図面。
普請は建築といった意味なので、京都に聚楽第を建築中と、石田三成は言っています。





「いずれワシは政(まつりごと)の中心を大阪からこちらへ移 すつもりだ」豊臣秀吉 真田丸
「いずれワシは(まつりごと)の中心を大阪からこちらへ移すつもりだ」

政とは政治のこと。
政については以前「神事・鉄火起請(てっかぎしょう)。政治とはもともと神頼みだった??」でも解説しているので、ご参照ください。


「では内裏(だいり)にご挨拶に行ってまいる」豊臣秀吉 真田丸
「では内裏(だいり)にご挨拶に行ってまいる」

【内裏】
天皇の住んでいる場所のこと。
このドラマでは他に御所という言い方も出てきていますが、ほぼ同じ意味です。


「これからは京が政の要になるのですか」秀吉と謁見する信繁 真田丸
信繁「これからは京が政の要になるのですか」

その後、ドラマ終了間際では完成した聚楽第で会話するシーンがありました。
聚楽第の完成が、1587年9月ですので、その前後の話ということになります。
大河ドラマ真田丸は第一話が1582年ですので、ようやく5年が経過したわけです。


聚楽第 屏風絵
今回は初登場ということで、聚楽第について軽く解説します。
※画像は『聚楽第図屏風』部分(三井記念美術館所蔵)


聚楽第模型
聚楽第は、京都のどこにあったのかも含めて、長く謎の多い建築物でしたが、近年、聚楽第の跡が発見されて発掘が進んだため、いろいろと解明が進んでいます。
「聚楽第」の「第」というのは、「邸」という意味あいがあり、お城というよりも館とか住居といったニュアンスなのですが、画像の復元模型はどう見ても城です(笑)






大阪城 真田丸
元々、大阪に首都を作ろうという発想は織田信長が計画していたもので、豊臣秀吉がそれを引き継いだわけですが、秀吉が聚楽第を作らせたということは、この織田信長の構想を捨てたととれなくもないですね。


そして織田信長 真田丸
織田信長は、天下統一の過程でこそ天皇の権威を利用しましたが、本能寺の変寸前の頃となると、それもほとんどしなくなっています。
信長は天皇の権威を借りなくても、実力だけで天下統一を果たし、その後の日本を運営していく自信があったのでしょう。


「天下平定がなれば、いずれ天子様にお返しするつもりだ」豊臣秀吉 真田丸
しかし秀吉には、信長ほどの自身が無かったようです。
一つには、織田信長の死後、無理矢理に織田家を乗っ取る形で政権を作った秀吉は、織田信長ほど地盤がなかったからでしょう。
ドラマでは「天下平定がなれば、いずれ天子様にお返しするつもりだ」と官職を返還することを言っていましたが、実際はそれどころではなかったのです。


聚楽第CG
信長ほどの自信が無かった秀吉は、より天皇の権威を利用することとしました。
そこで本拠地を大阪ではなく、天皇の御所がある京都に移す必要に迫られ聚楽第を作ったというわけです。



「御所も近いゆえ、なにかと都合がよい」秀吉と謁見する石田三成 真田丸
御所も近いゆえ、なにかと都合がよい」

ドラマでも、石田三成がこう解説していますね。


「何故にこの陣羽織を・・・」豊臣秀吉 真田丸
聚楽第の建設は、織田信長から引き継いだ政策の転換を示していると言っていいでしょう。
おそらく織田信長が生きていれば、本拠地を京都に移すことは無かったはずです。
これ以降、秀吉は天皇との関係をより深いものにしていこうとしているというお話でした。



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