真田丸・第20回「前兆」(7)尾藤道休と会わせない本願寺。当時のお寺さんはイケイケの武闘派集団だった

「尾藤道休(びとうどうきゅう)、だらしない男で、先日は御役目の最中にこっそり酒を飲んでいたそうです」真田信繁 真田丸
尾藤道休(びとうどうきゅう)、だらしない男で、先日は御役目の最中にこっそり酒を飲んでいたそうです」

聚楽第落首事件の最重要人物として、行方不明になった尾藤道休の名をあげる真田信繁。




「居場所は検討がつく。おそらく本願寺(ほんがんじ)」石田三成 真田丸
「居場所は検討がつく。おそらく本願寺(ほんがんじ)」

その理由は「道休は法名だろう。坊主が紛れ込むなら、大寺のあそこが一番だ」とのこと。

【法名(ほうみょう)】
仏の弟子として授かる名前のこと。


「神仏を頼って参った者を守らぬ訳にはいきませぬ」僧侶 真田丸
「神仏を頼って参った者を守らぬ訳にはいきませぬ」

石田三成の予想通り、道休は本願寺にいましたが、本願寺側は面会を拒否します。
既に天下人と言っていい秀吉側の要求をあっさり突っぱねるお寺の態度に少しビックリされる方もいたかも。


法事
現代人の多くの人にとって、お寺との関わりといえば、お葬式と墓参りぐらいではないでしょうか?
そういう我々の感覚だと、お坊さんとは、そういうイベントの時にお経を読む人といった程度の認識かも知れません。


一向一揆
しかし、戦国時代までのお寺はイケイケの武闘派集団でした。
天下統一寸前で死んだ織田信長をもっとも苦しめたのは、有名な武田信玄や上杉謙信ではなく、一向一揆などの宗教勢力の反抗でした。
当時のお寺は、領地を持ち、年貢を取り立て、それで兵を養う武装勢力でした。


※画像は大河ドラマ「平清盛」の武蔵坊弁慶
有名な武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)も、元々は僧兵といって、お寺を守る兵士です。
弁慶の時代と、戦国時代では、400年ほど開きがありますが、お寺が武装して、自らを守っていたことに変わりはありません。
※画像は大河ドラマ「平清盛」の武蔵坊弁慶



大阪城 真田丸
今回のドラマでも度々登場している大阪城ですが、大阪城のあった位置には、元々石山本願寺の本拠地がありました。
織田信長は、大阪を首都にする構想があったらしく、その要地である大阪城の土地の明け渡しを求めたりといった経緯もあり、激しく石山本願寺と対立しています。


本願寺顕如 信長の野望
お坊さんと筵旗(むしろばた)を持った民衆が主力の一揆の人たちとの戦いが、絵面的にイメージが悪いからでしょうけど、この本願寺との戦いは、あまりドラマでも描かれることはありません。
しかし、織田信長の最大のライバルは間違いなく、石山本願寺を始めとする宗教勢力だったのです。
その戦いは実に10年以上に及んでいます。


そして織田信長 真田丸
余談ですが、織田信長には多くの兄弟がいましたが、そのほとんどがこの本願寺との戦いで死んでいます。
一向一揆との戦いが、ほとんどドラマなどで取り扱われない都合で、信長ほどの有名人の兄弟で、しかも共に戦ったのに、かなりマイナーになってしまったのは可哀想ではありますよね。


「何故にこの陣羽織を・・・」豊臣秀吉 真田丸
織田信長が死に、豊臣秀吉がその政権を引き継ぎましたが、秀吉はこういった宗教勢力と協調する方針に変更しました。


道休との面会を拒否する本願寺 真田丸
織田信長にすら一歩も引かなかった本願寺。
秀吉の使いっ走りの要求など、屁でも無かったのはもっともなことでしょう。


「ワシが一筆書けば、折れてくれるであろう」豊臣秀長 真田丸
「ワシが一筆書けば、折れてくれるであろう」

結局、病で伏せっている豊臣秀長が口添えしてくれることで、話は進みます。
秀長は、宗教勢力との関係も良好でして、本願寺のトップ本願寺顕如からお見舞いの使者が来るほどですので、この程度のお願いは問題無しだったのです。


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