真田丸・第二回「決断」(4) 徳川家康と武田信玄の過去

焼け落ちた新府城を見聞する徳川家康 真田丸
焼け落ちた新府城を見聞する徳川家康

言わずと知れた徳川家康。
江戸幕府を開く人ですよね。


「信玄入道にはあれほど苦しめられたというのに・・」徳川家康
「信玄入道にはあれほど苦しめられたというのに・・」

ドラマでは本筋と関係無いだけに、このセリフだけで片付けられてしまいますが、ここまで徳川家康は武田信玄と対決し続けた人生でした。


三方ヶ原の戦い 真田丸
特に直接対決した三方ヶ原の戦いは9年前。
武田軍に散々に打ち破られ、ウンコを漏らしたというエピソードまで残っています。


徳川家康自画像
あまりにも酷い敗戦をした悔しさを忘れぬために、
また血気にはやって失敗した自分を忘れぬために描かせたとされる自画像まで残っています。

結局その直後に武田信玄が病死したために、徳川家康は生き残りました。
それ以降も跡を継いだ武田勝頼と戦い続けたのは徳川家康です。
そして穴山梅雪の裏切りを約束するなどして、確実に勝てる状況となり、
同盟軍の織田信長とともに戦ったのが今回の戦いのわけです。


本多正信
本多正信

徳川家康の知恵袋として知られる人です。
実は、若い頃は一向宗という宗教にこって、徳川家康に反乱したこともある人物
私が読んだ司馬遼太郎の小説などでは「梅毒持ち」で顔が崩れていたという表記がありましたが、
どうやらこれは事実ではないようです。


「正信・・・なにがいったい人を滅ぼすのか・・・」徳川家康
「正信・・・なにがいったい人を滅ぼすのか・・・」

徳川家康が自問とも、正信に話しかけるとも言える口調で言うセリフ。
ここまで名前にこだわってきた真田丸ですが、ここでは単に正信と言っていますね。
このあたりは主要人物でないため、諱の方を呼んでいるのかと思われます。
もっとも資料を見ても、名前が曖昧なので、それが理由の可能性も大きいですけど。


「火傷にはふきの葉が効くのか」徳川家康
「火傷にはふきの葉が効くのか」

徳川家康はかなりの健康マニアだったそうです。
自分が飲む薬も薬師に処方させず、自分で処方していたとか。
その健康マニアの一面が出たシーンですね。


「ワシはどうすればよい・・・」徳川家康
「ワシはどうすればよい・・・」

武田との戦いにようやく勝利するも、これからどうすればよいか苦悩する徳川家康。
この武田との戦いも、結局は徳川家康一人の力では勝ち切れず、織田信長という強力な同盟軍がいてこその勝利でした。


武田征伐後の勢力図 真田丸
地図にするとこんな感じ。
武田家を滅ぼした織田家の領地が圧倒的に大きいのが分かります。
また織田家は都である京都を支配し、経済的に豊かな関西を全て支配下においています。
東京を中心とする関東が都会になるのはこの時代からすると後の世でして、この時点では関東は田舎です。
つまり、織田家は日本最大の領地を持ち、日本でもっとも豊かな地域を支配していたわけですね。
徳川家康は同盟国とはいえ、このまま対等な同盟軍として居続けるのは難しいと感じていたはずです。
かといって、家来になるのかと言われれば、悩みどころですよね。

つづく

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