真田丸・第21回「戦端」(5)徳川家康説得後、板部岡江雪斎が出向くまでの顛末について

「心底救ってやりたくなったのだ・・・」徳川家康 真田丸
「心底救ってやりたくなったのだ・・・」

北条家を説得する理由を問われた徳川家康は、こんなことを言っていますが・・・



「茶々に惚れてしもた」豊臣秀吉 真田丸 どう考えても、秀吉からの指示だったでしょうね(笑)
そもそも秀吉の意向を受けずに北条家と接触してるとしたら、秀吉に裏切りを疑われる可能性だってあるわけですし。


沼田城の一件を話し合うために、板部岡江雪斎が京都に 真田丸
その後、沼田城の一件を話し合うために、板部岡江雪斎が京都に向かいました。
これが1589年2月のこと。


※画像は信長の野望の北条氏規
ドラマでは全く触れられていませんが、この前に北条氏規(うじのり)が上洛しています。
1588年8月のことで、板部岡江雪斎が行く半年も前のことです。
氏規は氏政の弟で、豊臣家との外交を担っていました。
※画像は信長の野望の北条氏規


「今、戦を起こしても勝ち目は無いからでござる」徳川家康 真田丸
「今、戦を起こしても勝ち目は無いからでござる」

ドラマ内のナレーションでは、「氏政の奢りが後に北条家を滅ぼした・・・」となっていましたが、徳川家康の説得以降、北条家の親族で北条氏規を上洛して、和睦の道を探っていたということなのです。


第21回終了 真田丸
ただ、沼田城問題にこだわり過ぎの気はしますね。
北条家全体が生き残るかどうかという問題と、沼田城を手に入れるかどうかという小さな問題は天秤にかけれないと思うのですけど。
ということで、次回放送終了後まで、しばしのお別れです。

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ジャンル : テレビ・ラジオ

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