真田丸・第22回「裁定」(5)ドラマで描かれた沼田裁定の史実

沼田裁定 真田丸
と、ここまでドラマの沼田裁定について追ってきましたが、そもそもこの話の流れは、どこまで史実なのでしょうか?



沼田裁定 審議開始 真田丸
実のところ、沼田裁定の詳細はよくわかっていません。
このドラマで描かれているところは、過去の経緯や、その後の流れ、そして残っている僅かな資料などを考察して作られており、よく出来ていますので、だいたいこういったやり取りがあったことは事実でしょう。


沼田裁定 真田丸
ただ、今回のドラマで描かれたような審議形式でのやりとりは無かったと思われます。
というのも、日本人は敵対する者が議論するという文化を持たないからです。
※皆無だったとは言い切れないですけど・・・


国会
日本人が議論で物事を決めるという方法を取り入れたのは、明治以後、議会制というものを知ってからです。


小県(ちいさがた)の国衆たちを集めて軍議 真田丸
味方同士が集まって相談するというのは、実に日本人らしい文化でありますが、これはあくまでも味方です。
しかも細かく序列が決まっており、役職によるランク付け、役職が同列でも家柄で上下が出来ますし、役職も家柄も一緒でも、年齢の差が出ます。
その全てが一緒でも職歴の差、殿様からの信用度など、いくらでも序列はつけられるものです。


裁判所
人間は全て平等で、裁判で争う場面、その当事者は、とりあえず現実の立場や収入を忘れて平等に話し合うという考え方は比較的新しい考え方であることを忘れてはいけません。
日本国憲法にわざわざ「国民が平等である」ことが書かれているのは、言い換えれば、それ以前はそうでは無かったことの証拠とも言えるでしょう。
※現在が完全に平等かはともかく、建前としてすら平等という考え方が無かったのです。



信繁と板部岡江雪斎 真田丸
したがって、信繁が板部岡江雪斎相手に討論を交わしたといったことは、おそらく無かったと思われます。


聞き耳をたてる真田昌幸 真田丸
そもそもドラマのように、秀吉が審議の主催者として出ているのに、その家来となっている真田昌幸が、その場に出ないなど許されるはずがありません。
徳川家康や北条氏政は、この時点で京都に来ていないので、物理的に出れないことを言い訳に代理を立てることを許されても、秀吉の命令で京都に来ている昌幸が断ることは、当時の倫理感で考えても不可能でしょう。


石田三成と真田昌幸 真田丸
おそらく、真田昌幸と板部岡江雪斎は、個々に石田三成あたりに呼ばれて事情を聴取され、その折に起請文などの証拠書類も提出したものと思われます。


「続けよ!!」豊臣秀吉 真田丸
ただまあ、それをドラマでやっちゃうと、全然面白く無いし、なによりわかりにくいですし、今回の演出は非常に良かったと思いますけどもね。



関連記事

テーマ : 真田丸
ジャンル : テレビ・ラジオ

コメントの投稿

非公開コメント

スポンサードリンク01
カテゴリ
プロフィール

うんちく仙人

Author:うんちく仙人
このサイトでは、歴史に興味が無い方でも、歴史ドラマをドラマとして楽しめるように手助けする趣旨で書いております。
特にドラマは好きだけど、歴史はあんまりわかんないという女性の一助になれば幸いです。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
スポンサードリンク02
RSSリンクの表示
リンク