真田丸・第24回「滅亡」(3)史実ではもっと酷い秀吉の約束違反。秀吉が氏政を許さなかった理由。

降伏する北条氏直 真田丸
真田信繁の説得の成果もあったのか、北条家は降伏。
当主の北条氏直小田原城から出ました。



小田原・豊臣秀吉の陣 真田丸
「長かったのぅ・・・」

しかし、降伏が遅かったことが豊臣秀吉には不満の様子。
ドラマでも出ていたように、小田原城が包囲されたのが4月で、北条氏直が降伏したのが7月なので、そこまで長期戦になったというわけでもないのですけどもね。


三木合戦
かつて秀吉が信長の家来時代に指揮した三木城を包囲戦の時には、1年以上の期間がかかっています。
これは日本の戦争としては例外的に長い特例ですが、それにしたって北条家ほどの大大名を3ヶ月間で降伏させたのは、それほど長い期間だったというわけではないように思います。
※画像は三木城近くの看板。何故かアニメ絵(笑)


「それでは氏政、氏直の命は救い、それと引き換えに城を受け取るということでよろしゅうございますか」徳川家康 真田丸
「それでは氏政、氏直の命は救い、それと引き換えに城を受け取るということでよろしゅうございますか」

徳川家康は、北条家の降伏条件を整理。
しかし・・・





「氏政は死んでもらおうか」豊臣秀吉 真田丸
「氏政は死んでもらおうか」

豊臣秀吉は、降伏条件をあっさり無視。


「約束を破られてはモノノフの義に悖(もと)りまする」大谷吉継 真田丸
「約束を破られてはモノノフの義に悖(もと)りまする

これには徳川家康・真田信繁・大谷吉継もビックリして大反対。
モノノフは武士のこと。
悖るは反すると言った意味。
訳すると「武士の正義に反する」となります。


「城の明け渡しが済んだら氏政は切腹」豊臣秀吉 真田丸
「城の明け渡しが済んだら氏政は切腹

ですが、豊臣秀吉は聞く耳を持たず、氏政の切腹を決定してしまいました。


徳川家康 真田丸
絶句する徳川家康ですが、史実ではもっと酷い話でした。
というのも、北条家の降伏条件として出していたのは、

(1)武蔵・相模・伊豆の領地を安堵
(2)氏直の上洛


の二点であったからです。
氏直は降伏して家来になるのですから、上洛するのは当然なわけですが、領地がいくらか残るならば、北条家は大名家として生き残ることが出来る条件だったわけです。


北条氏政切腹 真田丸
しかし、氏政は切腹・・・
北条家の領地は全て取り上げられて、北条家は滅亡。



生き延びることを諦めたかのような北条氏政 真田丸
ドラマでは生き延びることを諦めたかのような北条氏政でしたが、史実の氏政は、この時期、騙されたことに気づいて顔面蒼白になっていたのではないでしょうか。


豊臣秀吉 徳川家康 真田丸
ところで豊臣秀吉は、どうしてこういう露骨な約束破りをしたのでしょうか?


出雲阿国と踊る豊臣秀吉 真田丸
それはやはり、北条家が滅びたことで、ほぼ秀吉の天下統一が終了したからでしょう。
約束というのは、相手に気遣う必要があって初めて守られるものです。


裁判所
現代人なら、契約違反が起これば、それを裁判所に訴え出ることが出来ますが、戦国時代に訴え出る裁判所がありません。
むしろ、秀吉が天下人になり、秀吉こそが政府になり、秀吉こそが裁判所にもなったという状況。


「あくまでも徳川と真田の縁組ということにしたいのじゃ・・・」徳川家康 真田丸
それでも気を使わなけけばならない敵や味方がいる間は、約束を守る必要があります。
あいつは約束を守らない奴だと思われれば、その後の契約が上手くいかないからです。


伊達政宗 真田丸 白装束 降伏
しかし、北条家が滅亡し、伊達政宗が降伏してきた状況ともなると、秀吉に対抗出来る大名はいなくなり、秀吉が気遣いする必要はなくなったのです。


小田原評定 真田丸
また「強気の条件を出す北条氏政。しかし、北条家が助かる道はもう無かったという話」でも書いたように、秀吉としては、戦争終了後に、活躍した家来たちに領地を分け与える必要がありました。
この状況で、最後まで逆らった北条氏政を助ける気がなくなったのでしょうね。

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