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真田丸・第25回「別離」(3)大谷吉継が千利休をハメたのは本当なのか?

「コレが何か、もちろんご存知であろうな?」大谷吉継 真田丸
「コレが何か、もちろんご存知であろうな?」

真田信繁が小田原城で発見した、お魚マーク入の鉛を証拠品として突き出し、千利休を問い詰める石田三成たち。



「これを北条に売り付けとなると、由々しきことじゃ」石田三成 真田丸
「これを北条に売り付けたとなると、由々しきことじゃ」

【由々しきこと】
ほうっておくと大変なことになる


大徳寺山門・楼上 真田丸
「これでございますが」

更に調査を進めると、千利休が大徳寺において・・・


「あの者が、ここに飾る様に言ったのか?」石田三成 真田丸
「あの者が、ここに飾る様に言ったのか?」

巨大な千利休の木像を飾らせていることが発覚。
それにしたってデカい(笑)
「千利休とお魚マーク。北条家への武器密売は史実なのか?」でも書きましたが、千利休が切腹になる理由は不明です。
ただ、今回のように武器密売に関わっていたというような描かれ方をされることはほとんどありません。
もっとも有名なのは、この大徳寺の木像の話なのです。


「追い落とせるなら、多少手荒な真似をしても構わんな」大谷吉継 真田丸
「追い落とせるなら、多少手荒な真似をしても構わんな」

武器密売と大徳寺の木像の件をもって、いよいよ千利休を追い詰めると言い出す大谷吉継。


「本当に手を汚すというのがどういうことか、まだ分かっておらぬ」大谷吉継 真田丸
本当に手を汚すというのがどういうことか、まだ分かっておらぬ」

石田三成も頷き「綺麗事だけではやっていけないのは分かっている」と言いますが、大谷吉継はその認識がまだ甘いと指摘します。





「利休は己が姿に似せた木像を作り、それを大徳寺の山門に飾らせました」石田三成 真田丸
「利休は己が姿に似せた木像を作り、それを大徳寺の山門に飾らせました」

腹をくくった二人は、木像の件を秀吉に報告。


「木像があるのは、山門の真上でございます。つまり、殿下が山門を潜ると時、知らぬ間に利休の足の下を通っていたことになります・・・」石田三成 真田丸
「木像があるのは、山門の真上でございます。つまり、殿下が山門を潜ると時、知らぬ間に利休の足の下を通っていたことになります・・・」

やや、無理やりなこじつけに聞こえますね(笑)
むしろ、武器密売の方がリアリティがあります。
しかし、実際には武器密売の方が、千利休切腹の原因と言われることはほとんど無く、この作り話のような木像の話が有力な説です。
もっとも、利休切腹は原因自体が謎ですし、この木像の話が引き金であるかは、資料がないので分かりません。


実は茶々様が造らせた利休の木像 真田丸
ドラマでは茶々さんが作って貰ったということになっていましたね(笑)


「堺の屋敷に蟄居させるのがよろしいかと・・・」石田三成 真田丸
「堺の屋敷に蟄居させるのがよろしいかと・・・」

結局、豊臣秀吉も千利休を処罰することを覚悟します。

【蟄居(ちっきょ)】
自宅謹慎


「そらぁ、ご無体(むたい)とちゃいますか」千利休 真田丸
「そらぁ、ご無体(むたい)とちゃいますか」

この蟄居の決定に千利休はビックリ。

【ご無体】
無理・無法といった意味。



「切腹を申し付ける」大谷吉継 真田丸
切腹を申し付ける」

更に大谷吉継は、豊臣秀吉から許可を取っていない切腹まで命じてしまいます。
大谷吉継が「本当に手を汚すというのがどういうことか、まだ分かっておらぬ」と言っていたのは、この事のようですね。




利休切腹 真田丸
こうして千利休は切腹します。


「戦といっても、城を囲んでも根比べ(こんくらべ)のようなもんじゃ。わざわざ徳川殿に総大将になってもらうまでもあるまい」豊臣秀吉 真田丸
ドラマでは、大谷吉継が独断で千利休を切腹させたような流れに感じますが、実際のところ、これには無理があります。
ドラマで言っていたように、千利休はまず堺にて蟄居させられ(堺に千利休の屋敷があったからでしょう)、その後、切腹になるわけです。
その流れから考えると・・・


利休切腹 真田丸
この切腹のシーンは、堺の自宅か、その周辺で行われた印象を受けます。
しかし、史実では、堺蟄居のあと、京都に呼び戻され、秀吉の住む聚楽第近くの千利休の屋敷で切腹しているのです。


頷く豊臣秀吉 真田丸
したがって、秀吉が千利休の切腹を知らなかったといったことは無かったでしょう。
もし人知れず切腹させるなら、そのまま堺で殺すべきですからね。


「戦は儲かりまっせ」千利休 真田丸
「戦は儲かりまっせ」

まあ、こんなことを言っているようでは、殺されても仕方ないですけど(汗)
今回の描き方は、千利休が殺された理由としては分かりやすいですが、一般的な説としてはないことですし、茶聖と言われた千利休の切腹理由としては、あんまりな描き方かと思います。
千利休が北条家と豊臣家の対決を煽って、利益を得ていたという根拠の無い話をNHKで流しちゃうってどうよ?と個人的には思いますけどもね。

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テーマ : 真田丸
ジャンル : テレビ・ラジオ

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納得できる利休像

いつも楽しみに拝見しています。

>千利休が死の商人だったという根拠の無い話

とおっしゃっておられますが、利休が北条にも武器を売っていたという描写は全くのフィクションだとしても(時代考証の丸島氏も言われています)、利休に武器商人の顔があったのは事実です。
越前攻めする信長に鉄砲の玉1000個を調達して礼状をもらっており、その礼状は表千家に伝来しています。ついでに利休が九州征伐で着用したとする当世具足も表千家に伝来しています。利休の茶の師匠の武野紹鷗も堺の豪商の今井宗久も武具や甲冑を商っております。
堺市のHP( http://www.city.sakai.lg.jp/shisei/kokusai/koryukaigi/rekishisasshi/sakaiju.html )にも「堺の有名な茶人である今井宗久や千利休らも、鉄砲の製造取引や硝石の貿易で活躍した商人でした。」と出ています。
そういうわけで、昔、利休のお茶の研究をしていた私としてはとても納得できる利休像でした。

Re: 納得できる利休像

> とおっしゃっておられますが、利休が北条にも武器を売っていたという描写は全くのフィクションだとしても(時代考証の丸島氏も言われています)、利休に武器商人の顔があったのは事実です。

私も千利休が武器を扱っていたのは知っておりました。
http://rekisiuntiku.jp/blog-entry-313.html
の過去記事でも書いております通りです。

本文で「死の商人」という表現を使ったのは、豊臣家と北条家を争わせて「それによって私欲を得ようとした」という意味で使いました。
しかし、コメントをいただいて気づいたのですが、死の商人は単に武器商人という意味で使うことが多いので、ご指定のような誤解(管理人の言いたかった意図とは違うという意味で)を招く表現でしたね。
ということで、本文の方を訂正いたしました。

> そういうわけで、昔、利休のお茶の研究をしていた私としてはとても納得できる利休像でした。

仰るとおりです。
ただ、よくある映画やドラマの描かれ方とはかなり違ったので、驚いたの事実ではあります。
ご指摘ありがとうございました。






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