真田丸・第25回「別離」(8)あれだけ沼田城引き渡しをゴネていた矢沢頼綱の爺様が、城主になった真田信幸に怒らない理由

「不行き届きでもあったかなぁ?」矢沢頼綱 真田丸
「不行き届きでもあったかなぁ?」

真田信幸が沼田城の城主となったというのに、勝手に城を改築しまくる矢沢頼綱(笑)
隠し扉には、ほんまに爆笑しましたww
ただ、このシーンに違和感を覚えた人も多かったのではないでしょうか?




矢沢頼綱は60代半ば 真田丸
真田昌幸の意見を無視して、北条家と戦争をしてまで沼田城を守りぬき、豊臣秀吉が沼田城を北条家へ引き渡す決定をした際は、城の柱に身体を縄で縛りつけてまで抵抗した矢沢頼綱。


「断る!!」矢沢頼綱 真田丸
結局は無理やり沼田城から引き離されましたが、その経緯を考えると、沼田城が真田家のモノになった後、その城主が自分ではなく、真田信幸になったことに怒り心頭のように思います。


「この沼田城の城主は私です」真田信幸 真田丸
「この沼田城の城主は私です」

ところが、真田信幸が「城主は私です」と言っても、これに抵抗する様子は全くありません。


矢沢頼綱 真田丸
実はコレ、矢沢頼綱が沼田城の城代だったからなのです。
「沼田城主になり、大名になった真田信幸は、従業員から社長になった」でも書きましたが、城代は雇われ店長の立場。
沼田城は元々、矢沢頼綱のモノではなく、真田昌幸から矢沢頼綱が運営と守備を任されていただけなのです。


「で・・・布陣(ふじん)は?」矢沢頼綱 真田丸
それでも、矢沢頼綱とすれば、城代として復帰したい!!と言い出しかねないキャラですが、この当時既に高齢ですからね。
※70を過ぎており、この頃の常識で言えば、当然引退するべき年齢


「このようなものを見つけました」矢沢三十郎頼幸
当時の資料を見ても、そろそろ引退して、息子の三十郎に後を継がせていたようです。


矢沢頼綱は、明け渡し交渉をしに来た北条家の使者を槍で突き殺してしまいます。 真田丸
元々自分のモノでない沼田城が真田信幸の所有物になったからといって、矢沢頼綱が怒らないのは、実は当然のことなのです。
以前、沼田城の引き渡しを頑なに拒んだのも、今まで沼田城を守り抜いてきたという雇われ店長としての抵抗であって、自分の財産を奪われることへの怒りでは無かったわけです。
そして、高齢のため、城代として復帰することも無かった時期。
矢沢頼綱が真田信幸に怒らないのは、そういうわけなのでありました。


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