真田丸・第27回「不信」(7)伏見城普請を命じられた本当の理由とは

「伏見城の普請(ふしん)に加わってもらいたい」石田三成 真田丸
「伏見城の普請(ふしん)に加わってもらいたい」

息子たちの官位叙任を無事終えてホッとしたのも束の間、伏見城の普請をするように言われる真田昌幸。

【普請】
建築・建設のこと





「そなたの軍略をもって、伏見を難攻不落(なんこうふらく)の城に作り変えてくれぬか」豊臣秀吉 真田丸
「そなたの軍略をもって、伏見を難攻不落(なんこうふらく)の城に作り変えてくれぬか」

元々は秀吉の隠居用の城として予定されていた伏見城ですが、明や朝鮮の外交官を招く必要があり、更にその明や朝鮮から攻められる可能性も考えて、防御にも優れた城にして欲しいとのこと。
【軍略】とは、ここでは軍事的知識といった意味で、【難攻不落】とは、攻め辛くて落ちない城という意味。


燃える新府城 真田丸
昌幸は城造りの名人でして、ドラマ序盤に落城した武田家の新府城も昌幸が設計したもの。


めった打ちになった徳川軍 真田丸
徳川軍を徹底的にやっつけた上田城も昌幸作です。
秀吉の言いぶりだと、この伏見城も昌幸に設計を頼むと言っているようにも聞こえますが、それはどうなんでしょうかね。
ドラマでも大谷吉継が「元々は殿下の隠居城として・・・」と言っているように、伏見城は建築当初とは作られた目的が変わっています。
ですので、この段階以降、設計に加わった可能性もないわけではないでしょうが・・・
残っている資料だと「普請をした」ことは分かっています。
また、ドラマでも「普請に加わってもらいたい」と言われています。
設計は「縄張り」などという言い方になり、普請は単に建築のことですから、普通に考えると昌幸は建築だけをしたというふうに考えるべきでしょうね。


「かしこまりました・・・」真田昌幸 真田丸
「かしこまりました・・・」

しぶしぶ引き受ける昌幸。
当時、こういう城を作ることを命じられた場合、そのための費用負担は命じられた側になります。
この場合、昌幸が費用を出して、命じられた城を作るわけです。
ドラマでは、単に面倒臭い感じでしたが、結構厳しい要求だったのです。





が「扶持米(ふちまい)」を出した 真田丸
ただし、この伏見城の築城では、秀吉が「扶持米(ふちまい)」を出したという資料があります。
扶持米とは、給料のことで、当時はお米で支払うことも多かったのです。
大名の収入からして何万石などと米の取れ高で言うほどです。
つまり、昌幸は家来や領民から労働者を派遣して、人件費は秀吉が負担してくれた、ということになります。


「敵方・勢いを増しております」 朝鮮出兵 真田丸
いずれにせよ、なんとなく、降って湧いたような不幸ですが、実は理由があります。
ドラマを見ていると分かるように、真田家は朝鮮出兵の準備で九州にまでは行っていましたが、結局、朝鮮には渡っておらず、結果、戦争には参加していません。


「なんじゃと、もう一度申してみよ」加藤清正 朝鮮出兵 真田丸
朝鮮出兵は失敗に終わって、予定していたように領地を奪うことも出来ず、賠償金などを取ることも出来ませんでしたので、参加した大名たちは、全くの骨折り損のくたびれ儲けだったわけです。
こういった場合、豊臣家からなにか補償が出るといったことは基本的にないので。
※一部、朝鮮の住民を捕虜にして、奴隷として売り払った猛者もいたようですが(汗)


真田昌幸 真田丸
このように、朝鮮出兵でお金も使い、家来も死なせてしまった大名たちとバランスを取るために、真田家のように朝鮮に渡らなかった大名は、普請などの負担をさせたのでした。
まあ、そもそも朝鮮出兵自体が秀吉が言い出したことなのですから、知らんがなって話ですが(笑)


「文禄3年11月2日。京の聚楽第(じゅらくてい)において、信幸・信繁兄弟は、揃って叙任(じょにん)された」ナレーション 真田丸
ちなみに、真田兄弟が官位を貰ったのは、この伏見城の普請に対する褒美だったようです。
だとすると、叙任が終わってから伏見城の普請を言われるのは、順番が違うのですけども・・・
まあ、細かいことはおいておきましょう(笑)


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