真田丸・第28回「受難」(7)ネタ満載の呂宋助左衛門(笑)

「納屋助左(なやすけざ)に会ってきた」豊臣秀吉 真田丸
納屋助左(なやすけざ)に会ってきた」

いよいよ、秀次が失踪しているのを咎められると腹をくくって秀吉の前に来た信繁でしたが、秀吉は上機嫌。
納屋助左が誰かと言いますと・・・





「呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)、南蛮との商いで大儲けした、堺で一番の商人(あきんど)だ」石田三成 真田丸
呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)、南蛮との商いで大儲けした、堺で一番の商人(あきんど)だ」

石田三成が解説してくれましたね。
呂宋助左衛門に関しては、前回の予告の時点で少し解説しておりますが、改めて紹介いたします。
まず、秀吉が「納屋助左」と呼んだのは、呂宋助左衛門が元々「納屋」と名乗っていたからです。
助左衛門の名前が長いので、短く切って「助左(すけざ)」と呼んでいます。
今でも親しい間柄ですと、名を縮めて呼びますよね。
例えば「正太郎」という名前を「正ちゃん」などと。
ああいう感じで、秀吉は親しみを込めて「助左」と読んでいるのです。
※もちろん、目下ということもあります。


「またルソンからいろいろ珍しい品をもって帰りおった」豊臣秀吉 真田丸
「またルソンからいろいろ珍しい品をもって帰りおった」

石田三成は「南蛮との商いで大儲けした」と言っていますが、呂宋助左衛門が南蛮・・・つまりポルトガルやヨーロッパまで行っていたということではありません。
南蛮の商人は、当時のフィリピンを中継地点として利用して、他の国とも貿易をしていました。
呂宋助左衛門は、そのフィリピンと日本とを行き来して商売していたのです。
フィリピンの北の島をルソン島と呼びますが、当時はフィリピンではなく、単にルソンと呼ぶことが多かったのです。
このため、助左衛門も呂宋(るそん)と名乗ったのであります。
石田三成の説明では一瞬誤解しますが、フィリピンは日本の南にある島国ですから、もちろんヨーロッパでもポルトガルでもありません。
フィリピンを経由してやってくる南蛮の品々を商ったということであります。


「ルソンのにおい・・・」豊臣秀吉 真田丸
「ルソンのにおい・・・」

ちなみに、呂宋助左衛門が運んできたルソンの壺は、実は現地では便器として使われているものだったという話もあり、だとしたら、秀吉は便器の匂いを嗅いでいることになります。
もちろん、このシーンは、それが分かっていての演出でしょうけど(汗)
あんまり臭わない方がいいですよ~(笑)


黄金の日々オープニングシーン
この呂宋助左衛門、以前、大河ドラマ「黄金の日々」の主人公になったこともあります。
真田丸の脚本家・三谷幸喜氏は「最も好きな大河ドラマ」としてあげているぐらいでして、今回の脚本も完全に「黄金の日々」を意識したものになっていましたね。


夕陽 真田丸
呂宋助左衛門の登場シーンで無意味に入ったこの夕陽のシーンは明らかに「黄金の日々」のオープニングシーンを意識したものでしょう(笑)


※画像は大河ドラマ「黄金の日々」呂宋助左衛門
第一、呂宋助左衛門役の松本幸四郎さん自身が、38年前に「黄金の日々」で呂宋助左衛門を演じたその人ですから。
私は黄金の日々をまともに見ていないので気付かなかったですが、おそらくもっとネタが仕込まれていたはずです。
注意深くご覧あれ。
※画像は大河ドラマ「黄金の日々」呂宋助左衛門



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