真田丸・第31回「終焉」(6)秀吉が葬儀を上げられなかった理由とは

秀吉が死亡 真田丸
さんざん引っ張って来ましたが、ようやく秀吉が死亡。
秀吉が主人公のドラマでも、ここまで死ぬ寸前のことを事細かに描いたドラマは非常に珍しかったです。
秀吉が主人公のドラマだと、出世物語の若い頃にフォーカスされていて、朝鮮出兵や秀次などの粛清の部分は非常に簡素に描かれることが多いのですけども。





豊国廟
ドラマ終了後のおまけコーナー、真田丸紀行でも説明がありましたが「政治的混乱を避けるため」秀吉の葬儀は執り行われなかったと言われています。


長らく病床にあった弟・大和中納言秀保が17という若さで他界 真田丸
以前、秀保が死んだ時に、葬儀を行わなせなかったとドラマで描かれていましたが、なんと天下人にもなって日本の頂点を極めた男が、死んで葬式も上げてもらえなかったという・・・。
秀吉は派手好きな人だけに、なんとも可哀想な話ではあります。


「敵方・勢いを増しております」 朝鮮出兵 真田丸
理由はなんといっても朝鮮との戦争。
ドラマでは戦場のシーンが一切ありませんでしたが、多くの日本軍が朝鮮に渡っている状況でした。
戦況はまずまず良かったようですが、秀吉の死が世間に伝われば、朝鮮軍の反撃がスタートする可能性は高かったでしょう。


石田三成 真田丸
なにより、石田三成たちは、秀吉の死を契機にこの戦争の終結を図ろうと考えています。
そのあたりは、ドラマのセリフでもにじみ出ていましたね。
秀吉が死んで混乱状態であることを朝鮮や明に知られては、和平を結ぶのが難しくなる可能性があります。



豊太閤御葬式之図
真田丸紀行で紹介されていた「豊太閤御葬式之図」です。
葬式をしてもらえなかったことを哀れんだ誰がが描いたとか。
※豊は豊臣。太閤は秀吉の官職です。


豊国神社
真田丸紀行では「葬儀が行われなかった」とされていましたが、後に豊国神社が建立(こんりゅう)され、正一位豊国大明神という名前を貰いました。
これは戒名のようなもので、神様になったということ。
ですので、この豊国神社の建立が事実上の葬儀だったという解釈も出来ると思います。


「海を渡って、明国を攻め下す。唐入(からいり)じゃ」豊臣秀吉 真田丸
そうだとしても、目立つことが大好きな元気者・秀吉が、自分が死んだことすら隠さないといけなかったということは、やはり哀れではあります。
自分が始めた朝鮮出兵が原因ですから、身から出た錆ではありますが。


31回終了 真田丸
秀吉が死に、いよいよ徳川家康の狸ぶりが発揮されるのでしょうか。
では、また次回。

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