真田丸・題32回「応酬」(6)豊臣家に恨みを抱いていた長宗我部盛親を紹介しておきます。

「土地の取れたての魚と比べると、いささか味が淡白!!」長宗我部盛親 真田丸
土佐で取れたての魚と比べると、いささか味が淡白!!」

ドラマではチョイ役っぽいですけども、名前付きで出てきたので紹介しておきます。
長宗我部は「ちょうそかべ」、盛親は「もりちか」と読みます。
戦国大名じゃなかったら、ほとんどの人が読めそうもない苗字ですね(笑)
四国・土佐(現・高知県)の大名の息子です。
京料理は今でも味が薄いですから、盛親にとっては味付けが薄かったようですね。




※画像はドラマ「項羽と劉邦」の始皇帝
中国の初代皇帝である始皇帝の末裔であるとか無いとか。
※画像はドラマ「項羽と劉邦」の始皇帝


長宗我部盛親 真田丸
元々は宗我部と名乗って居たのですけども、近くに同じく宗我部と名乗る一族が居たため、それと区別するため、土地の頭文字を取って(土佐国長岡郡)、長宗我部と称しました。


※画像は大河ドラマ「軍師官兵衛」の長宗我部元親
有名なのは、長宗我部元親(もとちか)の方で、元親は四国を統一した英雄です。
ただし、天下取りを狙う秀吉軍に攻められて降伏していますが。
ドラマの盛親は、この元親の息子になります。
※画像は大河ドラマ「軍師官兵衛」の長宗我部元親


五奉行 真田丸
盛親の盛は、五奉行の一人、増田長盛(ましたながもり)より貰ったもの。
この五奉行の映像の中に居るはずですけど、誰でしょう(汗)



「中国の毛利、四国の長宗我部(ちょうそかべ)・・・」羽柴秀吉 真田丸
「中国の毛利、四国の長宗我部(ちょうそかべ)・・・」

ドラマでは名前だけは何度か出てきてました。
例えば、九州を攻めるのに、秀吉自身は出て行かず、毛利家や長宗我部家に攻めさせるといったセリフ。


ナレーション 「小田原城、東西およそ2.9km。南北およそ2.1kmにもおよんだ。その小田原城を秀吉勢が包囲したのは、4月のはじめ。総勢18万を超える軍勢で、小田原城を完全に包囲。」真田丸
北条家に攻め込み、その本拠地・小田原城を包囲した時は、水軍として参加したとナレーションで出てきていました。


「漂着した船は、イスパニアのサン・フェリペ丸。先月の28日に嵐にあい、土佐に漂着。長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の命により、浦戸湾に廻送されましてございます」片桐且元 真田丸
また、秀吉が積み荷を奪ったサン・フェリペ号事件の時も長宗我部元親の命により、浦戸湾に廻送されましてございます」」と片桐且元(かたぎりかつもと)が報告しておりました。
且元が元親と父の名前を言っているとおり、まだ父・元親は存命ですので、厳密には長宗我部盛親はまだ大名では無いということでもあります。


長宗我部盛親 真田丸
年齢はこの時点で20代半ば(笑)
盛親は他に兄がおり、そちらが長宗我部家を継ぐ可能性もありました。
また、盛親はあまり家来の評判が良くなかったらしく、盛親が跡継ぎになることに反対の声がありました。
しかし、父・元親はこの盛親を溺愛していたようで、強引に跡継ぎに決定してしまっています。


「戦じゃあ!!再び大軍で海を渡り・・・」豊臣秀吉 真田丸
家来から反対されている盛親を跡継ぎにしようとしたことが気に入らなかったのか、それとも他の理由があったのか、秀吉は盛親が長宗我部家を継ぐことを認めなかったようです。
ですので、現状の体制を維持しようとする石田三成より、新たな権力者になりそうな徳川家康に近づきたかったのは当然です。
徳川家康の会合に参加する理由はたっぷりあったわけですね。




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