真田丸・第33回「動乱」(1)島左近は石田三成には勿体無い名将だった

「ここは思い切って屋敷に討ち入り、内府(だいふ)の首を上げる所存」石田三成 真田丸
「ここは思い切って屋敷に討ち入り、内府(だいふ)の首を上げる所存」

宇喜多秀家・小早川秀秋らに、内府、つまり徳川家康を殺すと宣言する石田三成。



島左近 真田丸
そんな石田三成が「呼んできてくれ」と言ったのが、自らの家臣・島左近です。
島左近は戦国時代を生き抜いてきた猛将で、幾多の戦いをくぐり抜けて来ました。
ドラマでは初登場ですが、当時60歳手前。


老衆・徳川家康 真田丸
ドラマでは長老格となっている徳川家康が55歳前後ですから、そりよりも年上。
大ベテランの戦国武将だということが分かっていただけると思います。


sanadamaru2634.jpg
お年寄りなので、古くから石田三成に仕えていたような錯覚を覚えますが、島左近が石田三成に仕えたのは、三成が近江(滋賀)佐和山に領地を貰ってからというのが有力な説でして、そうなるとほんの4年ほど前ということになります。


豊臣秀次の切腹 真田丸
4年前と言いますと、ちょうど豊臣秀次の切腹事件があった後です。
というか、豊臣秀次が死んだことで、領地が空いたので、その一部・佐和山を石田三成が貰ったという流れです。



「ワシが一筆書けば、折れてくれるであろう」豊臣秀長 真田丸
経験豊かな島左近は引く手数多だったらしく、度々主人を代えています。
ドラマで出てきた人物だけでも、秀吉の弟・秀長に仕えていたこともあったそうです。






豊臣秀保と豊臣秀勝 真田丸
秀長が病死した後は、秀次の弟・秀保に仕えたとか。
秀保・・・あまりにも影が薄かったですが、覚えておられるでしょうか(笑)


石田三成 真田丸
その後、石田三成に仕えたとのこと。
石田三成が島左近を家来にした当時は、まだ30歳前後。
島左近とは倍ほど年が離れています。
経験豊かで引く手数多の島左近を家来にするのに、なんと領地の半分を与えたという逸話が残っています。


兵士 真田丸
戦国武将というのは、与えられた領地をその収入から独立採算で経営するのが前提です。
石田三成は、豊臣秀吉から領地を貰っていましたから、秀吉からなにか命じられた時は、その領地の収入で仕事をこなさねばなりません。
ですので、収入の半分で家来を一人雇うというのは、よほど異常なことなのです。
言い換えると、それほど島左近が欲しかったということ。


島左近 真田丸
当時は「治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われたと言います。
「治部少」はドラマでもおなじみ石田三成のこと。
「島の左近」はもちろん島左近。
「佐和山の城」は佐和山に領地を貰った石田三成が建てた佐和山城のこと。

「石田三成は島左近と佐和山城は勿体無い」

といった意味です。
そこまで言われた経験豊かな名将・島左近の活躍をご注目ください。
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