真田丸・第35回「犬伏」(6)板部岡江雪斎は本当に間者だったのか??

「伏見城を攻めることになってしもうた・・・」小早川秀秋 真田丸
「伏見城を攻めることになってしもうた・・・」

会議で決まった伏見城攻めの役割ですが、小早川秀秋はウンザリな様子。
伏見城攻めが嫌というより、戦争の指揮を取るという仕事そのものが嫌なようですね。




「実は拙僧(せっそう)、徳川内府より間者として送り込まれた者でござる」板部岡江雪斎 真田丸
「実は拙僧(せっそう)、徳川内府より間者(かんじゃ)として送り込まれた者でござる」

それを利いた板部岡江雪斎(いたべおかこうせつさい)は、あっさり徳川の間者であることを告白。
拙僧とは僧侶が自分をへりくだって言う時の言い方。
拙者みたいなものです。
間者はスパイのこと。


小早川秀秋もビックリ 真田丸
これには小早川秀秋もビックリですな。
ところで、板部岡江雪斎は本当に徳川の間者だったのでしょうか?


「我が軍勢は、徳川方を甲府に追い詰めました」板部岡江雪斎 真田丸
板部岡江雪斎は、元々仕えていた北条家が滅びたとはいえ、その後、豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)となったようです。
御伽衆とは、明確な役割があるわけではありませんが、秀吉の話し相手になって相談に乗ったりする仕事。
今で言うとアドバイザーとか、コンサルタントの仕事です。
北条家で外交を担っていた経歴を買われたのでしょうね。


沼田城の一件を話し合うために、板部岡江雪斎が京都に 真田丸
その板部岡江雪斎が、当時どの程度の領地や家来を任されていたのか明確には分かりませんが、秀吉の御伽衆ということですから、それなりの収入はあったはず。
つまり、個人的に仕事をしているお役人ではなく、大名に近い存在だったと思われます。


屋根裏からみる佐助 真田丸
したがって、佐助のような職業的な意味での忍者・スパイといった存在ではありません。
あくまで、徳川家康と密かに通じているといった程度。
これを間者といってしまったら、大名のほとんどが間者になってしまいます。
※当時の大名は、明確にどちらに付くとするのではなく、徳川にも石田にもいい顔をするのが普通でした。
 なにせ、どちらが勝つかは分かりませんからね。

「石田治部は、今宵ここに、夜討ちをかけるつもりでござる」板部岡江雪斎 真田丸
とはいえ、板部岡江雪斎が小早川秀秋を説得したことは史実です。
普通に考えると徳川家康のなんらかの指示があったと考えるのが自然でしょうね。
というわけで、板部岡江雪斎が自分を「間者」と思っていたかはともかくとして、徳川方が有利になるように働いていたことは事実です。
関連記事

テーマ : 真田丸
ジャンル : テレビ・ラジオ

コメントの投稿

非公開コメント

スポンサードリンク01
カテゴリ
プロフィール

うんちく仙人

Author:うんちく仙人
このサイトでは、歴史に興味が無い方でも、歴史ドラマをドラマとして楽しめるように手助けする趣旨で書いております。
特にドラマは好きだけど、歴史はあんまりわかんないという女性の一助になれば幸いです。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
スポンサードリンク02
RSSリンクの表示
リンク