真田丸・第36回「勝負」(7)小山評定で有名なエピソードを紹介

「ワシについてくるかは、各々のご決心に任せる」徳川家康 真田丸
「ワシについてくるかは、各々のご決心に任せる」

石田方挙兵を知った徳川家康は、諸将を集めます。
この軍議は小山の宿(しゅく)で行われたことから、小山評定などとも言われています。




「内府様と心を一つに出来ぬ御仁(ごじん)は、今すぐここを立ち去られるが良い」本多忠勝 真田丸
「内府様と心を一つに出来ぬ御仁(ごじん)は、今すぐここを立ち去られるが良い」

御仁は「お方」といった意味。
丁寧に言っているわけですが、言っていることはなかなか痛烈です。
ここを去った大名は、そのまま石田方に付くことは明らかでしょうから、それでもこう言ったのは、一種の余裕でしょうか。


「そのような者がおるはずがござらぬ!!」福島正則 真田丸
「そのような者がおるはずがござらぬ!!」

ここで真っ先に立ち上がって、徳川家康に付くと表明したのは福島正則でした。
この発言は非常に重大。
上杉討伐は豊臣家の老衆(おとなしゅう)として徳川家康が発した豊臣家の公式な命令です。
しかし、自分たちが留守をしている間に、主人である秀頼がいる大阪で毛利輝元が兵を挙げたとなると、毛利輝元と徳川家康、どちらが公式であるかが不明瞭になります。


毛利輝元 真田丸
今回、徳川家康に対して兵を挙げた毛利輝元と宇喜多秀家は、どちらも老衆。
老衆二人が秀頼のいる大阪で反徳川を表明したということだけを考えれば、むしろこちらこそが豊臣家の公式見解であるという理解も出来るからです。
徳川家康が率いている大名たちは、徳川家康の家来ではなく、豊臣家の家来。
家来としての立場を考えれば、毛利輝元側に付くべきという意見も当然ありえたでしょう。




7歳の豊臣秀頼 真田丸
ただし、秀頼がまだ幼児であったことはポイントの一つと言えるでしょう。
当時8歳ぐらいだった秀頼が、徳川家康討伐を言ったとは考えにくいですからね。
いずれにせよ、上杉討伐のために付いてきた諸将にとって、非常に悩ましい選択だったのは事実です。


小山評定で口火を切った福島正則 真田丸
ですので、福島正則が口火を切って、徳川家康に付くと表明したことは、迷いが生じていたであろう場の空気を一変させたに違いありません。
徳川家康からすれば、非常助かったわけですし、福島正則の大手柄ということになります。
ただし、実はこの役、山内一豊(かずとよ)だったというのは有名な話。


※画像は大河ドラマ「功名が辻」
山内一豊は大河ドラマ「功名が辻」で主人公だった人物。
後に大出世して土佐の大名になりますが、それはここで真っ先に徳川家康に付くことを表明したからだと言われています。


※画像は大河ドラマ「功名が辻」
まあ、ドラマでは、ここまで全く出てこなかった人物ですし、そもそもこの逸話自体が史実であったかは微妙なところではあるのですけども・・・。
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