真田丸・第37回「信之」(5)薫の人質人生を整理してみました

大阪城・西の丸に母・薫を助けに来た信之 真田丸
父・昌幸と信繁の命乞いを終えて、母・薫を迎えにきた真田信之。
ところで薫や信繁の妻・春は、ずっとどこにいたのか改めて整理したいと思います。



「万一、戦になった時、誰が誰にしたがって軍勢を動かすか、そこだけはハッキリとしておかねばならぬ」石田三成 真田丸
まず、真田昌幸が秀吉の家来になってからは、基本的にずっと秀吉の城の近くにある真田家の屋敷にいたはずです。
これには人質としての意味があります。


京都・真田屋敷 真田丸
秀吉は京都に居た期間も長いので、京都にいたはずです。
秀吉が死んでからは、秀頼の居場所と決められた大阪城の近くに屋敷を構えていたでしょう。
ただ、人質とは言え、つねに牢屋などに入れられて監禁されていたわけではなく、城下の自分の屋敷に住んでいたので、それほど自由が無いわけではありません。
むろん、いつ自分の旦那が裏切って、殺されるかも知れないという恐怖はつきまとったでしょうけども。


経緯を説明するきりちゃん 真田丸
「はじめは形部様(大谷吉継)の屋敷にいたのですが、徳川様が屋敷に入られてからは、ここに連れてこられて・・・」

徳川家康と石田三成が争った関ヶ原の戦いが始まり、石田三成が人質を大阪城に集められましたが、春が大谷吉継の娘だった縁で大谷吉継の屋敷に匿われていたわけですね。


関ヶ原の戦い・合戦
その後、関ヶ原の戦いで石田方が敗れ、その場で大谷吉継も死んでしまっています。
徳川軍が大阪に入り、人質だった人たちを確保したという流れです。
きりちゃんが「連れてこられて」と言っていますが、徳川家康に味方した大名たちの家族でからすれば、むしろ解放された、という状況です。
真田家の場合、敵味方に分かれていたので、どう取るか微妙ではありますが。


春に泣きつく薫 真田丸
いずれにせよ、薫さんは気づいていないようですが、ずっと人質です。
豊臣家の人質から、石田三成の人質になり、今は徳川家康の人質ということになります。
ただし、関ヶ原の戦いは石田三成が敗れたのであって、豊臣家が敗れたとは言えないので、今の薫が誰の人質であるかは、やや曖昧ではあります。
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