真田丸・第37回「信之」(7)じつは生き地獄を見せない徳川家康

九度山に向かう途中、真田昌幸と信繁は徳川家康と対面。
散々嫌味を言われます。

「その理不尽な思い、さらに膨らませてやる」
せっかく上田城の戦いでは勝ったのに、敗者にならないといけない理不尽をからかうなど、悪役ぶり満載ですな(笑)
ですが、冷静に考えると、今回の家康の措置はかなり温情措置だと思います。

「一つ、兵は一人残らず去らせること・・・」
家康のは昌幸に対する罰として、
「ワシはお主から、いっさいの兵と、馬と、武具と、金と城と、そして、今後戦にでる一切の機会を奪う。
残りの人生を高野山のふもとの小さな村の中で過ごすのだ」
と言っていますが、これは冷静に見ると、元々真田家が降伏するにあたって矢沢頼幸が読み上げていた条件となにも変わっていません。

「この生き地獄、たっぷりと味わうがいい」
と言っている割に、全く罰を追加していないのです。
ただ嫌味な言い方をしているだけ(笑)

「高野山に流罪(るざい)と決まりました」
先に信之が伝えてきたように、昌幸・信繁の基本的な罰は流罪です。
流罪とは罪人を辺境や島に送る追放刑のこと。
高野山は近畿で、当時はそれほど辺境ということはなく(田舎は田舎ですが)、ここで重要なのは高野山に行くということでしょう。
【流罪に関する過去記事】
真田丸・第29回「異変」(2)菊亭晴季の娘だと、実は命が危険だった!!

高野山と言えば、以前、ドラマでも豊臣秀次が切腹した場所として登場しておりましたが覚えておられるでしょうか。
高野山に行くとは、単に山に行くのではなく、その寺に入るということ。
もっと言えば、武士を辞めて、僧侶になれ、と言っているのです。

「高野山は女人禁制ゆえ、ふもとの九度山に屋敷を建てまする」
しかし、ドラマでも描かれているように、高野山にまでは行かず、その麓(ふもと)の九度山で流罪ということになりました。
その理由に「女人禁制ゆえ」とあるのに注目いただきたい。
このセリフを逆に読み解くと、「九度山なら女性を連れて行っていい」ということになるのです。

これは信繁が妻を連れて行きたいと希望したことからの配慮だったそうです。
しかも実際は、最初は高野山の別の場所だったのに、信繁が妻を呼び寄せるのに、女人禁制の場所から出て、女人OKの九度山に移動したとのこと。
また、単に寒かったから九度山に移ったという説もあります(笑)
いずれにせよ、昌幸・信繁親子は罪人ですから、全て徳川家康が許可したこと。
「生き地獄」どころか、かなりの配慮を見せていたことが分かります。

それもこれも、信之があれこれ苦労して、お願いしたのだと想像されます。
今回の命乞いといい、苦労しっぱなしの信之なのです。

「この役立つが!!」
ええ・・・(汗)
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