真田丸・第37回「信之」(8)関ヶ原の顛末を語る片桐且元も石田派だった

「徳川内府様は、秀頼公に戦勝のご挨拶をされた。とどのつまり、戦は石田治部が勝手に起こしたことに・・・」片桐且元 真田丸
「徳川内府様は、秀頼公に戦勝のご挨拶をされた。とどのつまり、戦は石田治部が勝手に起こしたことに・・・」

徳川家康との対面を終えた真田信繁は、偶然にも片桐且元と会いました。
セリフで語られているように、徳川家康は豊臣秀頼に「戦勝の挨拶」をしたとのこと。



秀吉に拝謁する家康 真田丸
戦勝のご挨拶とは、戦いに勝ったことを報告したということ。
これをしたということは、徳川家康は豊臣秀頼の家来であるという証明でもあります。
家来で無ければ、報告義務は無いですからね。
関ヶ原の戦いは、とかく豊臣家VS徳川家と言われることがありますが、徳川家康はあくまで豊臣家の家来として石田三成を討ったわけです。
もちろん、本心はどうだったかは不明ですが。
※画像は徳川家康が豊臣秀吉に謁見した時のもの


「おかげで多くの者はなんとか命拾いを・・・」片桐且元 真田丸
「おかげで多くの者はなんとか命拾いを・・・」

石田三成が全ての罪をかぶったと語る片桐且元。
且元は関ヶ原の戦いの時にどうしていたかといいますと、本人こそ戦いに参加していませんが、石田三成に自分の家来を派遣して助けています。
もし、石田三成が罪をかぶらなければ、片桐且元も処分の対象になっていたかもしれませんね。



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