真田丸・第37回「信之」(11)大谷吉継の最期を春ちゃんより詳細に伝えます


大谷吉継の最期を語る春 真田丸
久々にあった妻・春より、大谷吉継の最期を聴く真田信繁。
ここでは春ちゃんりよ詳細に、大谷吉継の最期を書いてみたいと思います。


輿に乗る大谷吉継 真田丸
戦場というのに、輿に乗る大谷吉継。
病気が進んで、既に自分で歩くのもままならない状況だったようですね。
関ヶ原の戦いを描くとき、大谷吉継がこういう輿に乗って戦うのは、ドラマの定番でもあります。


引きこもりの子供のような小早川秀秋 真田丸
既に「関ヶ原の戦いその三、戦いの経緯と石田三成の敗因」でも触れましたように、小早川秀秋の裏切りにより、石田三成たちは敗れることになるわけですが、その被害をもっとも受けたのが大谷吉継の部隊でした。
というのも、小早川秀秋の部隊は大谷吉継の近くだったからです。



大谷吉継 真田丸
小早川秀秋の動きがおかしいということは大谷吉継も気づいており、目の前の徳川軍と戦いながら、小早川軍にも警戒するという苦しい戦闘を続けていました。
大谷吉継は自らの家来以外に、石田方に味方した大名を何人か指揮していましたが、彼らとともに一時は裏切った小早川秀秋は追い払う奮戦をみせました。
また、小早川秀秋の裏切りを予測していた石田三成たちは、念のため、何人かの大名の部隊を小早川軍を見張らせるために配置していましたが、なんとその大名たちまで裏切ってしまい、小早川秀秋だけでなく、その裏切り者とも戦うこととなりました。


小早川秀秋もビックリ 真田丸
小早川秀秋の裏切りばかりがクローズアップされますが、実は沢山の裏切り者が出ていたのです。
言い換えれば、徳川家康は彼らと裏切りの約束を交わしていたということになりますね。
いかに用意周到であったかが分かります。


大谷吉継 真田丸
正面からは徳川軍。
背後からは小早川軍。
横からは裏切った大名たちの軍の攻撃を受けてフルボッコされたのでは、大谷吉継がいかに名将とはいえ、勝つことは出来なかったのも当然でしょう。


大谷吉継の最期 真田丸
ただ一つ残る疑問として、どうしてすぐに切腹したのか、ということがあります。
この後、石田三成の殺されるシーンも出てきていますが、それは後に捕まったからであって、石田三成は戦いに敗れてすぐに逃げ出しています。
石田三成だけでなく、ほとんどの大名が、敗戦後逃亡。
当時の価値観では、戦いに敗れて切腹するという潔さはそれほど美徳とはされていない時代です。


石田三成 真田丸
ここで負けても、本拠地に戻って籠城し、力を蓄えて再度戦おうというのが、当時の戦国武将の常識的な考えでした。



「九度山・・・」寧 真田丸
実はこれには寧さんが絡んでいるという説があります。
大谷吉継の母は寧の侍女だったため、大谷吉継自身も非常に世話になっていました。
その寧さんの甥っ子であるのが小早川秀秋。
寧さんの恩に報いるため、寧さんに近い小早川秀秋と戦って逃げなかったというのです。
う~ん、現代人にはサッパリ理解できない感覚ですね。
私個人としては、大谷吉継自身が病気のため、自分の命に対する執着心が薄かったのが原因のような気はしますが・・・。
※管理人などは3日も歯が痛いと生きているのが嫌になります(汗)


大谷吉継の最期 真田丸
「この首、くれぐれも敵にを渡すな」

現代人にわかりにくい感覚としては、この首を奪われたくないという思いですね。
大谷吉継がそうであったように、首を奪われたくないために、味方に首をはねさせて隠させます。
その場合、胴体はそのまま放置です。
当時の人たちは、首にこそ魂がこもっていると考えていたのでしょうか。


打ち首獄門
ただし、首を敵に奪われた場合、打ち首獄門(ごくもん)と言って、人々に首を晒すという公開処刑がありました。
写真が無かった時代、一個人の名誉をもっとも効果的に傷つける手段だったでしょう。
死んでまで名誉を傷つけられるのは、現代人の感覚から言っても避けたいですよね。


湯浅五助 真田丸
一応、大谷吉継ファンのために言っておくと、吉継の首は家来の湯浅五助(ゆあさごすけ)が無事何処かに隠して、徳川軍に見つけられることはありませんでした。
おそらく、ドラマで大谷吉継の首をはねたのが湯浅五助という設定かと思います。
ちなみに湯浅五助もこの後、すぐに討ち死にすることになります。


大谷吉継の最期 真田丸
また、大谷吉継の最期の言葉として、幾つかの言い伝えがあります。
裏切った小早川秀秋の部隊をにらみながら「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と言ったとか。
「人の顔をしているが、心は獣のようなやつめ。三年以内に祟ってやる!!」という意味ですね。
またドラマでは「この首、くれぐれも敵にを渡すな」と言っただけでしたが「病み崩れた醜い顔を敵に晒すな」と言ったという説もあります。


「治部(じぶ=石田三成)、楽しかったぞ・・・」大谷吉継 真田丸
治部(じぶ=石田三成)、楽しかったぞ・・・」

ドラマでは「楽しかったぞ」と言うのが最期の言葉でした。
大谷吉継は大名としての領地はさほど大きくなく、大谷吉継個人して連れてきた兵は3000に満たない程度でしたが、石田三成に早くから協力していたこともあり、西軍(石田方)に味方した大名たちを率いることになり、関ヶ原の戦いでは大部隊の指揮官になっていました。
徳川家康相手に奮闘し、天下分け目の戦いをし、大軍を指揮したわけですから、武士としては本望だったかも知れません。
ですので、最期の言葉は、本当に「楽しかったぞ」だった可能性はありますね。
個人的には、そう信じたいです。

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No title

もっと単純な理由で、単に病気で走れないから
逃げ切れないと踏んで自害したという事ではないのでしょうか?
輿で逃亡するのは目立つし遅いから無理でしょうし。

Re: No title

> もっと単純な理由で、単に病気で走れないから
> 逃げ切れないと踏んで自害したという事ではないのでしょうか?
> 輿で逃亡するのは目立つし遅いから無理でしょうし。

あるいは、輿を担ぐ家来すら散り散りの状況だったかもしれませんねぇ。
実際どうだったかは、わかりようもないわけですが・・・
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