真田丸・第38回「昌幸」(9)板部岡江雪斎が弔いに来た北条氏直のその後

偶然、高野山に来た板部岡江雪斎 真田丸
九度山に蟄居(ちっきょ=謹慎)中の信繁は、偶然にも板部岡江雪斎(いたべおかこうせつさい)に出会います。




「北条氏直様の御霊(みたま)が高野山で眠っておられるので、弔(とむ)いにまいった」板部岡江雪斎 真田丸
「北条氏直様の御霊(みたま)が高野山で眠っておられるので、弔(とむ)いにまいった」

御霊は文字にすると分かりますが、魂とか霊といった意味です。


「どうか、ワシらを救ってくれ!!」北条氏直 真田丸
氏直(うじなお)はこの人。
父ではなく、息子の方です。
ドラマでも北条家の滅亡は描かれていましたね。


生き延びることを諦めたかのような北条氏政 真田丸
ただし、あの時に死んだのは父の北条氏政(うじまさ)の方だけです。
息子・氏直の方は「自分が切腹するので、家来たちは許してやってほしい」とイケメン過ぎることを言い、このことがかえって秀吉の心を打ち、命を助けられることとなります。
この時、氏直は真田信繁と同じく、蟄居させられることになるのですが、その場所も同じく高野山でした。

【助けられる北条氏直についての過去記事】
真田丸・第24回「滅亡」(4)その後の北条家の人たち


北条氏直 真田丸
命を助けられたとはいえ戦いに敗れた北条家は領地を全て没収されました。
つまり、大名としての北条家は滅びたのです。
それでも氏直は諦めず、秀吉に許してもらえるようにあちこちツテを辿ってお願いしました。
まさに今の真田家の状況だったわけです。
結果、秀吉は氏直を許し、僅かな領地ではありますが、北条家を復活させました。



「決めた。ここは兵を退く」北条氏直 真田丸
真田丸の北条氏直とは、かなり印象が違いますね。
しかし、せっかく北条家が復活したというのに、氏直は病気になってしまい、30歳という若さで亡くなってしまいます。


早雲寺
ただし、板部岡江雪斎の言うように、氏直の御霊を弔うならば、北条家の代々の当主が埋葬されている早雲寺に行くべきだと思うのですが、何故、高野山に来たのかは、やや謎ではあります(笑)
※コメントでご指摘いただきましたが、この時期、早雲寺は小田原の役の影響で消失していたそうです。


「これで気兼ねなく、身を引く事ができる」板部岡江雪斎 真田丸
「これで気兼ねなく、身を引く事ができる」

と安心する江雪斎に対し、信繁はご隠遁(いんとん)なされるので?」と聞き返します。
隠遁とは「世を離れて、仏教の修行をする」ことです。
板部岡江雪斎は隠居と同じような意味合いで使ったのでしょうけども、僧侶に対して言うならば、隠居ではなく、隠遁の方が正しいでしょうね。


「最期は出家(しゅっけ)らしゅう終わりたい」板部岡江雪斎 真田丸
「最期は出家(しゅっけ)らしゅう終わりたい」

出家とは一般の生活を捨てて、仏教の修行に専念する生活に入ること。
ただし、僧侶そのものを指す場合もあります。
板部岡江雪斎はすでに僧侶ですから、今更、出家するのはおかしいわけで、この場合は後者の意味。
すなわち「僧侶らしく終わりたい」と言っていると思われます。


板部岡江雪斎 真田丸
ところで、この板部岡江雪斎。
無精髭を生やし、身を引きたいなどと言って、まるで一般人のように見えますが、この時、徳川家康の家来のはずです。
子孫は旗本(はたもと=徳川家の家来)として存続するので、板部岡江雪斎も徳川家より領地を貰っていたことになります。
ですので、徳川家康の命を受け、なにか良からぬことを企んでいるのかとハラハラしていたのですが、本当にただ高野山に来たようですね(笑)


「お主の眼差しの奥に、くすぶっている熾火(おきび)が見える」板部岡江雪斎 真田丸
「お主の眼差しの奥に、くすぶっている熾火(おきび)が見える」

熾火とは「赤く熱した炭火」のこと。
まだ燃えているのだから、諦めるなと言いたいのでしょう。


「実は拙僧(せっそう)、徳川内府より間者として送り込まれた者でござる」板部岡江雪斎 真田丸
「実は拙僧(せっそう)、徳川内府より間者として送り込まれた者でござる」

小早川秀秋をそそのかして裏切らせたり、徳川家康に敵対する信繁を励ましたり、この人はいったいなにがしたいのでしょうかね(汗)
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テーマ : 真田丸
ジャンル : テレビ・ラジオ

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早雲寺

いつも楽しみに拝読しています。

>ただし、板部岡江雪斎の言うように、氏直の御霊を弔うならば、北条家の代々の当主が埋葬されている早雲寺に行くべきだと思うのですが、何故、高野山に来たのかは、やや謎ではあります(笑)

早雲寺は小田原征伐で灰燼に帰し、再建されたのは寛永4年(1627年)再建なので、早雲寺には行けないですね。

また、氏直亡きあと氏規(氏政の弟)の子が狭山藩を立藩し(1600年、現・大阪狭山市)、北条家を再興しています。高野山から狭山は遠くはないので、紅雪斎も狭山~高野山への旅をしたと考えるとよいかと(笑)。

Re: 早雲寺


> 早雲寺は小田原征伐で灰燼に帰し、再建されたのは寛永4年(1627年)再建なので、早雲寺には行けないですね。

ご指摘ありがとうございます。
本文にも注釈を入れておきました。

> また、氏直亡きあと氏規(氏政の弟)の子が狭山藩を立藩し(1600年、現・大阪狭山市)、北条家を再興しています。高野山から狭山は遠くはないので、紅雪斎も狭山~高野山への旅をしたと考えるとよいかと(笑)。

そうでしたか。
私の家から近いんですよ。
大阪狭山市。
どうでもいいですけど(笑)
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