真田丸・第39回「歳月」(1)真田信之は九度山に来て良かったのか?

「さぞ、ご無念であったであろう・・・」真田信之 真田丸
「さぞ、ご無念であったであろう・・・」

九度山で父・昌幸の位牌の前の真田信之です。
今回の冒頭シーンですが、私は非常に違和感を感じました。
亡くなった昌幸と信繁は流罪で九度山に来ているわけで、そこに徳川秀忠の家来であり、大名である信之が来てもいいものなのでしょうか?



真田信之 真田丸
一応、九度山に行ったという記録は残っているようですね。
時期などは確認できませんでしたが。


「家康は征夷大将軍を秀忠に譲った」徳川秀忠 真田丸
徳川秀忠が征夷大将軍になったタイミングで、お供をした信之が会いに行ったという話もあります。
これだと、昌幸が生きている時期だったことになります。
ただし、昌幸が信之に宛てた手紙として、会わなくなってから「十年あまりにもなります」という内容のものがあるので、これを信じた場合、秀忠の征夷大将軍のタイミングでは会ってないことになります。
秀忠が征夷大将軍になったのは1605年。
真田昌幸が死んだのは1611年。
1605年に会っていれば、まだ6年しか経っていないことになります。



真田昌幸の最期 真田丸
ただし昔の人は、年数に対する観念がアバウトです。
いっぱいだったら100と言ったり、結構前だったら10年と言ったりするので、この手紙の10年が正確に10年であるのかは疑問が残りますが。


昌幸の位牌 真田丸
もし九度山に行ったことが事実だとすれば、父・昌幸が亡くなったこのタイミングだと、許可が出た可能性は確かに高いですね。


難しい顔の徳川家康 真田丸
ただし、徳川家康はよほど昌幸にムカついていたらしく、昌幸が死んだ時に葬式を出すことすら許していません。
そう考えると、信之がこのタイミングで位牌に手を合わせに行くことが出来たかは微妙ですね。


真田信之 真田丸
ですので、今回はお忍びでこっそりと来たのかもしれません。
大名の移動というのは、複数の家来を引き連れての大名行列になるので、お忍びが可能かという疑問は残りますが・・・




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