真田丸・第39回「歳月」(3)信繁は本当に九度山の暮らしに満足していたのか?

「兄上の気持ちは嬉しいのですが・・・」真田信繁 真田丸
「兄上の気持ちは嬉しいのですが、これだけ長くおりますと、今の暮らしになんの不満もなくなってしまいました」

信繁の赦免のために動くという兄・信之に、もう無理をしなくていいという信繁。
すっかり、流罪の暮らしに慣れ親しんでしまったようですね。



子沢山の真田信繁 真田丸
九度山から出られないとはいえ、妻と暮らし、子供までもうけていますしね。
実際にはこの九度山流罪中に子供を5人も作っています。
なかなかエンジョイしています(笑)


「旦那様といる間が多いので・・・」春 真田丸
「旦那様といる間が多いので、ここに来られて本当に良かったと思っております」

春さんは本当に嬉しそう(笑)


九度山の真田家の人々 真田丸
この九度山の期間中も、いずれ来るであろう徳川家康との対決のため着々と準備し、情報を集め、作戦を練り、忍者部隊を組織したなどと描かれることの多い信繁。
しかし、後に徳川家康との戦いに参加するのは、歴史を知る現代人の後知恵というもの。
案外、この暮らしに納得していたのかも知れませんね。




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ジャンル : テレビ・ラジオ

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信繁の九度山生活

当時の信繁の日記のようなものが残っているようです。
今と比べればまだまだ若いと思うのですが、
「ああ、今日も鏡を覗くとまた白髪が増えている、鼻毛も伸びて眉毛まで白くなり始めた、このままでは晴れの舞台に立てたとしても槍すら振る事が出来ない、どうしたもんじゃろのう」と。
当時は”名を惜しむ””名を残す”と言う思いが最優先でこのまま朽ち果てるのかと言う悔しさと諦めでぶっすりだったようです。

でもそのまま描くと、ただの戦国時代物になってしまうので三谷さんはこの回をある意味を持って描いたのでしょう。

まだ、最後の別れのお涙頂戴の場面を三谷さんが作るかどうかはわかりませんが、”別れ”は今回凝縮されていたと思います。

今回描かれたわだかまりの解消と平穏な日々、「幸村」になると言う事はこの安らかな日々との決別を意味します。
だから今回のストーリーがただの”箸休め”で無い意味が出てくる、凄いですね。

さて、それぞれのわだかまりを払しょくするようなやり取りの場面で胸の中が焼き付くような感動の後、一服於いてまさに風雲の中、史実通り明石全登が現れる。
大阪城からの迎え・・。

彼は”お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸”なのか”地獄からの死神”なのか、それは今の信繁には分らない、現代の私たちにさえ判断できないのだから、人それぞれ。

Re: 信繁の九度山生活


> 今回描かれたわだかまりの解消と平穏な日々、「幸村」になると言う事はこの安らかな日々との決別を意味します。
> だから今回のストーリーがただの”箸休め”で無い意味が出てくる、凄いですね。

幸村という諱は後世の作り話という考え方もありますが、大阪城に入る時に名乗ったという説もあるようですね。
タイトルからすると、この説でいくようで。


> 彼は”お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸”なのか”地獄からの死神”なのか、それは今の信繁には分らない、現代の私たちにさえ判断できないのだから、人それぞれ。

宇喜多秀家のように、参加しない選択肢もあったわけですからね。
まあ、秀家の場合、八丈島から出られなかったというのが理由かも知れませんが・・・
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