真田丸・第39回「歳月」(5)本当に大変だった大名・真田信之

「兄上こそ大変なのではないですか?大名として領内をまとめていくのは・・・」真田信繁 真田丸
「兄上こそ大変なのではないですか?大名として領内をまとめていくのは・・・」

九度山の暮らしを心配された真田信繁でしたが、むしろ大名として国を治める信之を心配しております。
実はこの時期、信之は本当に苦労しておりました。



信濃上田城 真田丸
関ヶ原の戦い終了後、ご存知の通り、真田昌幸と信繁は九度山に流罪となりましたが、徳川家康に味方した信之は逆に領地が増え、9万5000石の大名になっています。
大大名とまでは言えませんが、国衆ではなく、立派な大名の一人になったわけです。
しかし、国の統治はなかなか厳しい状況でした。


行軍する秀忠軍 真田丸
一つは第二次上田合戦の影響。
ドラマでは、真田昌幸の作戦勝ちで、一方的に勝利したように描かれ、しかも本格的な戦いが始める前に、徳川秀忠が関が原に呼び出された為、結局まともに戦っていません。


「兵糧の少ない敵は、必ず刈田を行う」真田昌幸 真田丸
確かに、上田城は落とされず、徳川軍は西に去ったわけですから、真田家の勝ちとも言えます。
また徳川軍の戦死者は1000を超えると言われるのに対し、真田軍は数十人の死者が出ただけです。
それでも、徳川軍は豊富な兵力を持っており、徳川秀忠が関が原に向かった後も、一部の兵を見張りとして残しており、真田家の戦いは継続していたのです。
城に籠もる真田軍は、ドラマで描かれていたように、時々城から抜け出しては闇討ちや奇襲で勝利していましたが、根本的に徳川軍を追い払えたわけではないのです。



略奪・乱取り 真田丸
当然、徳川軍は田畑を踏み荒らし、領民から略奪を行ったでしょう。
当時としては当たり前のことですから。
その戦後復興は大名となった信之の仕事になったわけです。


48年ぶりの浅間山噴火(笑) 真田丸
またドラマでも描かれた浅間山の噴火。
真田昌幸が「浅間山が噴火でもしない限り、武田家は大丈夫」と言ったのに噴火したというギャグで使われていましたが、当時はこれがかなりの大惨事でした。
なにしろ、この噴火が京都からでも見えたそうです。
長野県で起こった噴火が、関西の京都で見えたというだけで、どれほど大規模の噴火だったか分かるというものです。
噴火はその後も断続的に続いたという記録が残っており、当時の信濃は戦災だけでなく、天災にも見舞われていたことが分かります。


「新たに堀を作って、田に水を引かせたり、荒れ地を耕して畑を拡げたり、まあ、やらねばならぬことは跡を絶たぬ」真田信之 真田丸
「新たに堀を作って、田に水を引かせたり、荒れ地を耕して畑を拡げたり、まあ、やらねばならぬことは跡を絶たぬ」

これでは「やらねばならぬことは跡を絶たぬ」のは当然ですよね。
荒れ地を耕す必要があったのも、戦災と天災のせいだったのかも知れません。


「まあ、そういう地道な仕事の方がワシには向いておるのかも知れん」真田信之 真田丸
「まあ、そういう地道な仕事の方がワシには向いておるのかも知れん」

本人が納得しているのでなによりではありますが・・・
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