真田丸・第39回「歳月」(15)実は九度山で作られなかった真田紐

「これぞサナール紐ならぬ真田紐!!」真田信繁 真田丸
「これぞサナール紐ならぬ真田紐!!」

ドラマではサナール紐から着想を得た信繁が、真田紐を作ったというお話でした。




沖縄のミンサー織り
別の説としては沖縄のミンサー織りから伝わったとも。
このミンサー織り自体もチベットの山奥の民族が織っていたものが伝わったそうなので、いずれにせよ外国の織物からヒントを得たということのようですね。


佐助の体重にも耐えられる真田紐 真田丸
非常に丈夫に出来ており、ドラマでも言っていたように鎧や刀を結ぶ紐に使われたそうです。


真田紐を織る春ときり 真田丸
ただし、九度山の流罪にされた真田一族が、生活費を稼ぐために真田紐を作ったというのは有名な話なのですが、どうやら作り話のようです。


真田紐 真田丸
この紐、戦国時代の当時、既に各地で出回っており、あちこちで生産していたようです。


九度山の長兵衛 真田丸
話は逸れますが、信繁に真田紐の販売を委託されたこの人は九度山の村長・長兵衛さんです。
以前、少し出ていたのですが、お忘れの方もいるかもしれませんね。



長兵衛と話す信繁 真田丸
さて、この九度山のお話が架空であるとすると、どうして真田紐という名前になったのかという疑問が残ります。
以下は私の推論ですが、興味のある方はお読みください。
真田信繁は、江戸時代になってから英雄としてもてはやされる人物です。
信繁は徳川家康に最期まで逆らった人物ですので、徳川家からすると犯罪人なわけですが、庶民からは高い人気がありました。


真田十勇士
これは最期まで豊臣家に尽くしたという格好良さももちろんですが、庶民の徳川家への批判も含まれていたでしょう。
今のように表現の自由が認められていた時代ではありませんから、徳川家に対する直接の批判はご法度です。
ですので、徳川家を批判する代わりに、徳川家に逆らった人間をヒーローとして活躍させるといったことが行われました。


忠臣蔵
有名な忠臣蔵のお話も、徳川家が政権を担っていた江戸時代のことですが、彼らのやったことは、徳川家から見ればテロ行為に過ぎませんからね。
このため、忠臣蔵は実名で演じることさえ禁じられていたほどです。


大阪夏の陣において 真田丸
同じように江戸時代に人気者であった真田信繁の人気にあやかろうと、気の利いた商人の誰かが、真田紐と名付けたのではと思うのですが、どうでしょうかね??
江戸時代の当時でも、既に商品に名前をつけたり、パッケージを工夫するブランド化が進んでいました。
真田紐は今で言うブランド商品だったのではと想像する次第です。





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