真田丸・第42回「味方」(2)頼りない感じの長宗我部盛親ですが、実は家来からは慕われていた??

長宗我部盛親 真田丸
真田幸村が大阪城で相部屋になったのが長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)。
実は以前にも登場しているのですが、覚えておられるでしょうか??




「ところで伊達様のところには、姫君がおられると伺いましたが、今、お幾つで??」本多正信と伊達政宗 真田丸
前回の登場は豊臣秀吉が死んで、徳川家康がさっそく大名たちを集めて派閥を作り始めたという酒宴のシーン。
真田丸・題32回「応酬」のことです。

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長宗我部盛親 真田丸
この時にも長宗我部盛親が招かれていました。
なんとな~く思い出していただけましたでしょうか(笑)


長宗我部盛親 真田丸
秀吉が「大名たちが勝手に集まることを許さない」と掟を出していたこの時期に徳川家康の招きで会合に出ているのですから、それほど豊臣家を大事に思っていたといった感じでは無いですよね。


「ワシは肝の小さな男でなぁ・・・」長宗我部盛親 真田丸
「ワシは肝の小さな男でなぁ・・・」

ドラマでは自ら自虐を言っていました。
ここまで言い切れるのは、ある意味凄い器がデカい気もしますけども(笑)
おそらく、このあたりのセリフは関ヶ原の戦いでの行動から出てきたものではないかと思います。



関ヶ原の戦い・合戦
関ヶ原の戦いでは、石田三成に付いています。
ドラマでは徳川家康の酒宴に出ていたのに、結局は石田三成に付いているというのはいかにも中途半端な感じですよね。
しかも、いざ戦いには参加したのに、結局一戦もせずに退却しています。
まあ戦わなかった理由は、長宗我部軍より前にいた味方の部隊が既に徳川家康に裏切っていたために、動くに動けなかったというのが理由なのですけどもね。


長宗我部盛親 真田丸
理由はどうあれ、せっかく関ヶ原の戦いに参加したというのに、一度も戦わ無かったというのは、世間からの評価も低くなるというものもですな。


徳川家康 真田丸
結局、徳川家康は敵に回った長宗我部盛親を許さず、長宗我部家は取り潰され、盛親は浪人になりました。
ドラマでは「京の町で寺子屋を開き、子供たちに読み書きを・・・」と言っていましたが、実はこれは資料が残っている話のようですね。


京都 真田丸
九度山に流罪になった真田幸村とは違い、長宗我部盛親は京都で暮らしていたわけです。
普通、真田幸村や長宗我部盛親のような戦争犯罪人は田舎町に身柄を拘束されるのですが、何故か盛親は京都の町人に預けられて監視されていました。


「長宗我部家再興のため、かつての家臣に背中を押され、此度の戦に加わったが・・・」長宗我部盛親 真田丸
「長宗我部家再興のため、かつての家臣に背中を押され、此度の戦に加わったが・・・」

と言っていましたが、大阪城に入るために長宗我部盛親が監視されていた京都を脱出すると、続々と昔の家来たちが集まってきて、大阪城に入る頃には、その数はなんと1000人を超えていたとか。
かなり慕われる人柄だったのかも知れませんね。

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