真田丸・第四回「挑戦」(2)ムトウキヘイは武藤騎兵じゃないよってお話

前回の続き 真田丸
そういうわけで、前回の続きです。

諏訪といえば、真田家の領地のある長野県のここ 真田丸・地図
諏訪といえば、真田家の領地のある長野県のここ。
つまり目と鼻の先にまで、織田軍が迫っているということですね。


信長との対面のために、諏訪の法華寺に入った、真田親 真田丸
信長との対面のために、
諏訪の法華寺に入った、真田親子。
延暦寺焼き討ちなどで、
お寺とは中の悪いイメージの織田信長ですが、
意外とよくお寺に泊まったりしています。
死ぬ時も本能寺というお寺に泊まっていますしね。


諏訪の法華寺 真田丸
一つには大きな施設が少なく、
大軍が宿泊するような施設が
お寺ぐらいしか無かったという都合もありました。


織田が陣を張る法華寺で、徳川軍を見つける真田昌幸。 真田丸
織田が陣を張る法華寺で、
徳川軍を見つける真田昌幸。
「三方ヶ原を思い出す」とつぶやくお父さん。

三方ヶ原の戦いについては、既に触れましたが、
徳川家康が武田信玄率いる武田家にボロ負けした戦いです。


「ムトウ・キヘイ!!」 真田丸
「ムトウ・キヘイ!!」
父・昌幸の昔の名を覚えている信繁。

ネットで検索すると「武藤騎兵」で検索している人が多い
ようですが、「武藤喜兵衛」が正しいです。
そもそも当時は「騎兵」という言葉がありませんから、
名付けられるはずもないのですけどね。
真田家の長男で無かった真田昌幸は、
武藤家に養子に出されています。
そこで「喜兵衛」と名乗ったので
ただしくは「武藤喜兵衛」なのですね。


「信玄公からいただいた名じゃ」真田昌幸
「信玄公からいただいた名じゃ」
亡き信玄公に軽く頭を下げる真田昌幸。
お父さん・昌幸が武藤喜兵衛を名乗ったのは事実ですけど
、「信玄公からいただいた名」であるかはどうなのでしょうか。
若いころから頭も切れて勇敢な武将だった昌幸は、
信玄から気に入られていたようですので、
ありえない話ではないですけどもね。


「泣きわめきながら逃げていく家康の顔、今でもはっきりと覚えておるわ」 真田丸
「泣きわめきながら逃げていく家康の顔、
今でもはっきりと覚えておるわ」

真田昌幸が三方ヶ原の戦いに参加していたのは事実です。
泣きわめいている家康の顔を見れる位置にいれたかは謎ですけど(笑)


ここで室賀正武にばったり。 真田丸
ここで室賀正武にばったり。
「一足早く、織田の陣に加わりました」
とのこと。
やはり、お父さん昌幸がわざと奪わせた密書を持って、
先に織田家に行っていたようですね。
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