真田丸・第47回「反撃」(1)まだもうひと働き。まだ終わらない片桐且元の人生

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徳川軍が放った大砲が、見事、茶々さまの居そうな所に命中して慌てる片桐且元。
徳川家康は「茶々さまの居場所が分かれば、茶々さまの居場所を避けて大砲を撃てる」と言っていただけに、且元としては騙された形になります。





片桐且元 真田丸
ナレーション
「片桐且元。関ヶ原以降の豊臣政権を一人で背負っていたこの男は、豊臣家を裏切ってしまったことを悔み続け、これよりおよそ半年後、急死する。病死とも、自ら命を絶ったとも言われる」

ということで、真田丸では脇役でよくあるナレーションのみでの死亡という扱いになりました。
このため、ここで死亡したと錯覚しそうですが、ナレーションを良く聞くとまだ「半年ほど生きる」ということが分かります。
このタイミングを理解すると、片桐且元の死の意味がより深いものになるので触れて見たいと思います。

【注意、以下ネタバレあり】
半年後の話を書くため、ドラマのネタバレも含まれる事となります。
単純にドラマとして楽しみたい方は、読まないほうがいいかも知れません。


片桐且元 真田丸
片桐且元が死んだ半年後というのは、正確には1615年の5月28日。


初(常高院)と大蔵卿局 真田丸
今回のお話では、徳川家と豊臣家で和睦(わぼく=停戦)が成立したものの、真田丸を壊され、大阪城の堀を埋めるなど豊臣家が騙されたところまでが描かれました。
このあと、再度、豊臣家と徳川家は戦うことになります。
つまり大阪城を巡っての戦いは、大きく分けて2回行われたことになり、前回描かれた「真田丸の戦い」を含む合戦を大阪冬の陣と言い、まだ描かれていない、おそらくドラマのクライマックスとなる戦いが大阪夏の陣となります。



徳川家康と徳川秀忠 真田丸
この大阪夏の陣は、1615年の4月ぐらいから開始されます。
今回ドラマで描かれた停戦が1614年の12月頃の話と思われますので、今回の和睦は半年も続かず終わってしまったということなのです。

片桐且元に話を戻しますと、この時点では片桐且元はまだ生きていたということが分かります。
ドラマではナレーションから推測して、もはや出番は無さそうですが、実はまだ、片桐且元の話は終わっていません。


大野治長 真田丸
二度目の戦い、大阪夏の陣が始まると、豊臣家は大阪冬の陣のような強気な態度には出れなくなります。
なにしろ、真田丸は既に潰され、堀は埋められ、戦うための兵士(主に浪人)たちは半分ぐらいが大阪城から去ってしまっていたのですから、さすがに勝ち目が無いと考えたわけです。
そこで大野治長は、茶々さまや秀頼の命を助けてくれるように片桐且元を通じて徳川家康に働きかけようとします。


片桐且元 真田丸
片桐且元は、大野治長に頼まれた助命嘆願を実行しています。
ただし、この時既に肺病を患っており、どこまでの働きが出来たのかは不明ではあります。
いずれにせよ、豊臣家と徳川家の和睦が成立せず、秀頼と茶々、そして真田丸の主人公・真田幸村は死亡。
自分の努力が実を結ばず、恩義のある豊臣家の人たちの死に苦悩しながら、すぐに片桐且元も死ぬことになります。
ともかくも、ナレーションの印象では錯覚しそうですが、片桐且元も豊臣秀頼も、ほぼ同じ頃に死ぬことになるのでした・・・。



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テーマ : 真田丸
ジャンル : テレビ・ラジオ

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No title

秀頼・淀殿が慶長20年(1615年)5月8日に自害、且元が5月28日に死去という順序じゃないですか?
「葵 徳川三代」だと、大阪夏の陣が終わった後に且元(演・小林稔侍)が殉死するというストーリーだったと記憶しています。

Re: No title

> 秀頼・淀殿が慶長20年(1615年)5月8日に自害、且元が5月28日に死去という順序じゃないですか?
> 「葵 徳川三代」だと、大阪夏の陣が終わった後に且元(演・小林稔侍)が殉死するというストーリーだったと記憶しています。

おっしゃるとおりです。
旧暦と新暦がゴッチャになって誤解しました。
本文も修正いたしました。
ご指摘ありがとうございます。
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