真田丸・第49回「前夜」(1)大坂夏の陣・真田幸村の対徳川戦略を地図で解説

「こうなった以上、まずは大阪を出て京を抑える」真田幸村・豊臣軍 真田丸
「こうなった以上、まずは大阪を出て京を抑える」

予定していた要害を作ることが間に合わず、予定より早く徳川勢と戦う事になった真田幸村は、京都に進軍することを提案します。
まあ、この後あまりにもアッサリ否定されてしまいましたが(笑)
この真田幸村の対徳川勢戦略を地図で確認してみましょう。





大阪城から京を抑える 地図
まず幸村は大阪城を出て、地図で言うと山城の国。すなわち京都を抑えると言っています。
「そして伏見を本陣として」と続けていますが、伏見は京都にある地名のことで、伏見城があります。


完成間近の伏見城は崩壊 真田昌幸 真田丸
伏見城と言えば、ドラマでも度々出てきています。
今は亡き、真田昌幸が建設を命じられたのに、途中で地震がきて崩壊してしまったエピソードがありましたが、覚えておられるでしょうか?
豊臣秀吉の隠居城だったお城です。
秀吉の死後は徳川家康が管理しています。
天下人・豊臣秀吉が作った城だけに、京都を代表する規模を持っており、京都を抑えたのならば、当然、伏見を本陣とすることになるでしょう。



京から近江へ 地図
その後は「近江瀬田にて進軍してくる徳川勢を迎え撃つ」とのこと。
近江は今の滋賀県のこと。
滋賀県と言えば琵琶湖ですが・・・


瀬田 グーグルマップ
瀬田とは琵琶湖の南にある瀬田川のことを指しているでしょう。
この川は、当時交通の要所でして、豊臣秀吉も交通の便が良くなるように橋を掛けています。
今も残る、瀬田の唐橋ですね。
この橋を落としてしまえば、瀬田川が天然の堀となって敵を阻むことが出来ます。
ですので、「近江瀬田にて・・・」となるわけです。


真田幸村 真田丸
ドヤ顔で言っている真田幸村ですが、京都を抑えた大名が、瀬田に防衛線を敷いて戦うというのは、日本史の中で何度も語られたことであって、別に珍しいことを言っているわけではなかったりします(汗)
とはいえ、堀も真田丸も無くした大阪城で戦うよりは、ずっと良い作戦だったように思いますがね。


後藤又兵衛 真田丸
「じゃあ、そろそろ俺達の策を聞いてもらえるかな」

結局、ドラマでは後藤又兵衛たちが考えた、大阪城の付近で戦うという、ごく常識的な作戦に決定し、幸村の策は無かったことになってしまいますが(笑)
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