真田丸・第四回「挑戦」(4)信繁が好敵手・家康と初対面。戦国武将の自己顕示欲と官位についても解説。

織田信長との面会に待たされ、織田軍が陣を張る法華寺をウロウロする信繁
織田信長との面会に待たされ、
織田軍が陣を張る法華寺をウロウロする信繁。
ここで将来闘うことになる徳川家康と初対面です。 真田丸
ここで将来闘うことになる徳川家康と初対面です。


「私が考えました」真田信繁
「私が考えました」

弓立ての下に車(車輪)をつけることで
素早く運ぶ工夫を自分が考えたことを誇る真田信繁(笑)
ちなみに、「謙虚」を美徳とする文化はここから数十年後に始まる
江戸幕府の時代に広まった文化ですので、
戦国時代の武将たちは現代日本人がたじろぐほどに自己顕示欲の塊でした。


派手な兜を被って戦場に 真田丸
そうでなければ、こんな派手な兜を被って
戦場にいかないですよね(笑)
戦場で目立たないと、せっかく手柄を上げても、
見つけてもらえないという都合もありました。


ここで父・真田昌幸も登場
ここで父・真田昌幸も登場。
徳川家康と出会うのは、
三方ヶ原の戦い以来のはずです。


「徳川三河守にござる」真田丸
「徳川三河守にござる」

徳川家康ではなく、徳川三河守と挨拶しましたね。
徳川家康は確かに三河守であったこともあったのですけど、
この時点では右近衛権少将(うこのえごんしょうしょう)という官位を貰っていましたので、
官位で名乗るなら「徳川右近衛権少将でござる」と名乗るのが正しいはずです。
ただ、徳川家は三河という今の愛知県東部あたり出身の大名ですし、
普段から「三河殿」と呼ばれていたでしょうから、こう名乗ることもあったのかな?


お父さんは策が上手くいってニッコリ 真田丸
父・真田安房守昌幸は安房守を名乗っていても
安房の領地をおさめていないエセ安房守ですが、
徳川家康は実質的にも三河の大名で、正真正銘の三河守ですね。


徳川家康の家来・本多平八郎忠勝
こちらの徳川家康の家来・本多平八郎忠勝も、先に紹介したとおり、
三方ヶ原の戦いに参加しています。

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