真田丸・その後(4)知恵袋・本多親子の人生は、死んだ幸村以上に悲惨だった

本多正信 真田丸
「領民には無理をさせず、かと言うて楽もさせず、年貢だけはきっちりと取る」

ドラマの最後の方で、国の治め方を信之に説く本多正信
徳川家康の知恵袋として大活躍でしたね。
まあ、後半は気づくと寝ていましたが(笑)






徳川家康と本多正純 真田丸
それでも、息子の本多正純(まさずみ)も父譲りの知恵者で、徳川家康の参謀として活躍する様子が描かれていました。


本多正信 真田丸
こうした参謀として活躍した人物が、人生をにまっとうすることは滅多にありません。
その知恵や知識により、主人からの圧倒的な信頼を勝ち取る立場にあるだけに、本人が調子に乗ってやり過ぎるということもありますし、そうでなくとも妬まれたり恨まれたりしやすい立場だからです。


徳川家康 真田丸
例えば、戦いの恩賞であったり、政策であったりを最終決定するのは、主人である徳川家康です。
しかし、誰もが納得する決定というのは、そうそうあるものではありません。
「なんでアイツの方が多く領地を貰うんだ」
「この法律はわが家にとって損だ」
といったクレームはつきもの。
そういった時、主人である徳川家康を恨みにくい心理があるので、その参謀である本多正信を恨むわけです。
現代でも「社長は立派で人情味のある人なんだけど、取り巻きが悪いんだよね~」といった会話はよく聞く話。
こういった避雷針としての立場になりやすいのが参謀でありますし、仕事にはその役割が含まれていると言ってもいいでしょう。
このため、歴史上の軍師や参謀と言われる人のほとんどが、最期は非業の死を遂げるといったことがよくあります。


「豊臣家もつくづく運がない。秀頼公が凡庸な二代目であれば、しぶとく生き延びられたものを・・・」本多正信 真田丸
本多正信はこういった歴史や人々の心理をよく理解していたようで、それを防ぐためのの言葉を息子に残したといいます。
それは

「私の死後、お前は必ず領地を増やして貰えるだろう。3万石まではお受けしていい。しかし、それ以上は貰ってはいけない。もし辞退しなければ、必ず災いが降りかかることになる」

といった意味の言葉。
※当時の本多家の領地が2万2000石なので、加増してもらうにしてもちょっとだけにしなさいってことですね。

また、徳川家康には

「もしこれまでの正信の働きを評価いただき、本多家の子孫が続いてもいいと考えていただけるならば、正純の領地は今のままにしていただき、これ以上増やさないでいただきたい」

と言ったとか。
ただし、これらの言葉は「名将言行録」という後世の資料なので、架空の話である可能性はありますが、本多正信なら言いそうな助言ではあります。
なにより、本多正信の生存中はその役割の割に領地は小さかったので、少なくとも本多正信本人は、この言葉の通りのことを意識していた気配はあります。



社長
これは現代に例えるなら、こんな感じ。
ある会社の専務は社長の絶大な信頼を得て、会社の方針や人事、給料の査定などの権限を独占していた。
このことで多くの社員の恨みを買っていたが、専務の給料は他の会社役員より低く、部長職並であったため、皆文句を言うのを我慢していた・・・
冷静に考えると、会社の方針や人事を自由にしていたことと、本人の給料が低く抑えられていたことはなんの関係も無いわけですが低い給料で頑張っていることが忠義の証というのは日本人にはわかりやすい感覚なわけです。
カルロス・ゴーン氏のように、例え実力があっても、何億もの給料を取る人は、なかなか理解されにくいのが日本の社会です。
※カルロス・ゴーン氏も外国人だから許されるが、日本人だともっと妬まれているでしょう。


黒田博樹
カープの黒田博樹が、メジャーの高額年俸を蹴って日本に復帰し「男気」と称されている感覚と似ているでしょうか。
メジャーに残れば、10億とも20億とも言われるオファーがあったと噂されています。
仮にカープに20億払う財力があったとしても、20億円プレイヤーの黒田では、あまり賞賛されなかったでしょう。


「関ヶ原で石田治部に加担し禄(ろく)を失ったた者や・・・」本多正純 真田丸
ところが、息子の本多正純は、父が警告していた領地の大幅アップを受けいれてしまいます。
※徳川家康も本多正信も死んだ後。
これに関しては本多正純本人は、父の遺言や周囲の妬みも考慮して「そこまでの功績はない」と断ったと言われていますが、結局は応じています。
その石高はなんと15万5000石。
父・正信が指定していた3万石の5倍です(笑)
世の中は、経過がどうあれ、結果が重視されるます。
それも政治の世界であれば余計でしょう。
いくら拒んだとはいえ、最終的に受け入れたのであれば、周囲の人々にとって、それこそが答えとなります。

そして父・本多正信が心配していた通りの展開となっていきます。


徳川秀忠 真田丸
大幅の収入アップで周囲の妬みを買った本多正純は、没落への道を歩み始めていきます。
直接の引き金となったのは、宇都宮城釣天井事件という徳川秀忠を暗殺未遂事件。
この事件そのものは、どうやら事実無根だったらしいのですが、結局いろいろとケチをつけられて、領地のほとんどを取り上げられ、その石高は1000石に(汗)
ようは徳川秀忠自身と、その取り巻きの家来に嫌われていたのが最大の理由でしょう。


疑う本多正純 真田丸
その後の扱いは酷いもので、牢屋にこそ入れられなかったものの、常に監視が付き、住居をすべて板戸で囲われるなど、九度山時代の真田幸村以上の苦しみを味わったとか。
結局、正純は許されること無く、この世を去っていくことになります。
典型的な参謀役の悲劇といったパターンの人生だったのです。



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