真田丸・その後(6)春・梅・きり。幸村の妻や子供たちには、過酷な運命が待ち受けていたとか、いなかったとか

逃げる春たち 真田丸
伊達政宗に保護されて、命の助かった春と梅
いやぁ良かったですねぇ・・・と言いたいところですが、別の説もあるようです。



竹本義太夫 真田丸
なにぶん、戦後のどさくさの話ですし、確定的なことは言えないわけですが、一説には春たちは紀伊(和歌山県)の浅野家に捕らえられたとか。
浅野家と言えば、寧さんの親戚で、九度山時代に幸村たちを監視していた人たちです。
その後、春は一度も伊達政宗の領地に行くこと無く生涯を終えているという話もあり、その場合、伊達政宗に助けてもらったという設定は、無理があるということになります。
ドラマのように政宗に助けてもらったという説もあるのですが、ここでは伊達政宗が助けていない場合の説を紹介したいと思います。


殺意を抱く春 真田丸
まず、ドラマでは出てきていませんが、春と幸村の間にはおかねという娘が生まれています。
この、おかねは石川貞清(いしかわさだきよ)という大名に嫁いでおり、春はこの貞清を頼り、生涯面倒を見てもらったといいます。
石川貞清は大坂夏の陣当時は既に大名としては隠居しており、京都で商人をしていたので、そのまま京都で暮らしました。
※つまり、浅野家に捕らえられたものの、処刑はされなかった。


梅 真田丸
また、梅はこの落城の最中、伊達家の家来に乱取りによって拉致されたという話も。
拉致と保護では、全然話が違いますなぁ(汗)

【乱取り】

戦争中または戦後の略奪行為のこと。
モノは奪われ、女は犯されます。


片倉景綱 真田丸
伊達政宗に保護されたのか、拉致られたのかは諸説あり、よくわかりませんが、わかっていることは、この後、梅が伊達政宗の家来・片倉景綱の息子の側室になるということ。
また、それ以外の子どもたちも、片倉景綱のお世話になっています。
ここで春の子どもたちのその後を一覧にすると

真田大助 
大阪城で死亡


片倉景綱の息子・片倉重長に嫁ぐ。
ただし春の娘ではなく、きりの娘という説の方が多い。

真田大八 
ドラマでも赤ちゃん姿で出演していた??
この後、伊達家の家来になる。

阿菖蒲(おしょうぶ)
片倉定広という伊達家の家来に嫁ぐ。

おかね
先述のとおり石川貞清に嫁ぐ

となります。
大坂夏の陣で死んだ真田大助と、既に嫁いでいたおかね以外は、全員、伊達家に保護してもらっていることが分かります。



「とんだ不調法(ぶちょうほう)でござった」伊達政宗 真田丸
こうしてみると、ドラマでの設定のように、伊達政宗が真田幸村の遺児たちを保護したという話の方が真実味がありますね。
家来に拉致られてレイプされた後の梅を片倉景綱が息子の側室にするとも思えませんし・・・。
※あるいは家来が拉致してきたのを見咎め、そのまま保護したという可能性もあります。
しかし、そうなるともう一つ疑問が残ります。
なぜ、伊達政宗は春たちを保護したのか。
敵の遺族を保護すれば、徳川家康にいらぬ疑いをかけられかねないわけですし、実際、この後、徳川家からクレームがつくこにとになります。


伊達政宗 真田丸
これに関しては、真田幸村が最期の決戦前夜に、伊達政宗にお願いの手紙を書いたという説しか見つけられませんでした。
つまり伊達政宗は男気で、この後の災難も予想される遺族の保護を引き受けたというというわけです。
歴史マニアの悪い癖で、どうもこういう綺麗な話は納得出来ないなぁ(笑)


伊達政宗 真田丸 白装束 降伏
あえて、穿った見方をすれば、これで真田家に恩を売っておき、いずれ徳川家と対決することがあったときに、真田家を味方に引き入れようとしていたのではないでしょうか?
徳川家康が死んで、世の中が再び乱れだ場合、奥州の伊達が関東の徳川家と対決するのに、信濃の真田家と手を結ぶというのは、戦略的にはかなっていますからね。
まあ、これは既に私の妄想でしかありませんが(笑)
ここは伊達政宗が男気で真田幸村の遺児を助けたということにしておいた方が綺麗ですね。


真田信尹 真田丸
ちなみに、真田幸村の遺児を家来にしたことで「敵の真田の一族を家来にするとは何事だ!!」とクレームがついた時は、「真田信尹(のぶただ)の一族です」と言い訳して逃れています(笑)
信尹は徳川家の家来ですので、信尹の一族なら問題無いわけですね。


真田信之と真田信尹 真田丸
結局のところ、真田信尹や真田信之など、徳川方についた真田家もいたので、徳川家としてもある程度お目こぼししたんじゃないかなぁとは思いますけども。


きり 真田丸
そんなわけで、幸村の正室とその子供たちまでが許されたぐらいですので、おそらくきりちゃんも許されたんじゃないかなぁと思います。
もっとも、きりちゃんに関しては、高梨内記の娘で、真田幸村の側室になったらしいという話以外、ほとんど資料がないので、そもそもこのタイミングに大阪城にいたのかさえも怪しいですが。
いずれにせよ、徳川家康はこの戦いの敗者にわりと寛容で、徹底的に弾圧したというより、助けられるところは助けているという印象です。
このおかげもあり、真田家の人たちも、無事、その後の人生を生き抜いたようです。
ご安心ください。



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非公開コメント

ありがとうございます!
その後のことや、なんで伊達に託されたのか気になってたので、ありがたいです。
いつか真田と手を組む為にというの、とても腑に落ちました!納得。
ドラマでは直接の絡みは少なかったけど、昌幸も「伊達と手を組んで」ってよく言ってましたもんね…。
信繁もそういう考えもあって託したのかなー?と思ったら、スッキリしました。

Re: タイトルなし

> 信繁もそういう考えもあって託したのかなー?と思ったら、スッキリしました。

このあたりは私の妄想ですので(汗)
しかし戦国時代を生き残った大名たちにとっては、徳川家康が死んだ後、再度世の中が乱れるといった可能性は、当然ながら頭のなかにあったと思います。
ちょうど、目の前で、前天下人の息子・豊臣秀頼が死んだばかりですしね。
ということは、世が乱れた時の布石を打っておくというのは、当然ありうることだったでしょう。
徳川家が日本を200年以上支配するっていうのは、歴史を知っている者の後知恵に過ぎませんからね。

No title

梅が片倉重長の側室になった経緯も気になりますが
それ以外にも信繁の妻や子供達のその後の足取りは
不思議な事が多いんですよねえ。

一般に信繁の妻竹林院は、四女あくりと共に
九度山への逃亡を目指したが浅野家に捕まり京都へ連行された後
助命されて京都で過ごしたとされます。

何故この時幼い大八、阿菖蒲、おかねらと
行動を共にしていなかったのか?

大八、阿菖蒲、おかねの3人は伊達家で保護された後、
おかねだけは伊達家を離れ石川貞清の息子、
石川重正に嫁いだとされます。

しかしそもそも石川親子はどうやって伊達家におかねが
保護されている事を知ったのか?
信繁から生前に聞かされていたのだとしたら、
始めから石川親子を頼った方が確実では無かったのか?
(因みに石川貞清は大谷吉継の妹婿で竹林院とは縁戚にあたる)

このように信繁の妻子の足取りは謎だらけで
考えれば考えるほど訳が分からなくなります。
いっその事ドラマのように
「全員纏めて伊達家が引き取っていたのだ」と
解釈してしまえばスッキリするのですが。

Re: No title


> 不思議な事が多いんですよねえ。

なにぶん、敗戦後のどさくさのことですし、いろいろとあったのでしょうね。
言いたくないようなこともあったかも知れませんし、保護した側も徳川家を憚っていろいろと誤魔化している可能性も高いですし。
幸村は、後世で急激に人気が出た人物だけに、当時は必死で隠していたけど、後に「ウチはかばっていた」って言ったほうが世間の聞こえが良くなるといった都合もあったでしょうしね。
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