真田丸・その後(7)明石全登は逃げ延びた??その子孫はみなさんも知っているあの方

明石全登 真田丸
豊臣家の敗色が濃厚になり、神に祈る明石全登(てるずみ)。
ドラマでは、彼の最期がどうなったかが描かれていませんでしたね。






明石全登 真田丸
こういう描かれ方になったのは、おそらく全登の最期がよくわかっていないからでしょう。
この戦いで戦死したという資料もあるものの、逃げ延びて生き残ったとする資料もあります。
ただ、古い資料にも、明石全登生存説があることからして、当時も良く分からなったというのが事実ではないかと推測します。


バテレンとミサ 真田丸
当時の噂として、キリシタンに保護されて、ヨーロッパに逃げたのではという話もあったようです。
ただし、当時の宣教師たちは、こういった出来事をこまめに記録に残している傾向があるのに、明石全登が逃亡した話は記録に無いことから、ヨーロッパ逃亡説は怪しいです。
※当時の宣教師は、布教のための費用を商人に頼っていたため、商人たちの役に立つように、日本で起こった事件などを報告書としてまとめている。
この資料の多くが現代でも残っており、戦国時代の一級資料となっている。


明石全登 真田丸
ただし息子たちの生存は記録に残っています。
ドラマでは明石全登の身内がいる様子がありませんが、息子たちもともに参戦しており、敗戦後は散り散りに逃げ延びたのでしょう。
明石内記という息子がいましたが、生き延びています。
もっとも戦後20年以上も経ってから逮捕。
キリスト教の布教をしていたようですので、大阪の陣の罪ではなく、キリスト教布教の罪に問われたものと思われます。



キリシタン大名の明石全登 真田丸
明石景行(あかしかげゆき)という名の子は生き残り、のちに徳川家からも許されています。
※こちらも大阪の陣に参戦していた。
明石景行は徳川家に遠慮して武元と姓を変えますが、はるかな後年、徳川幕府滅亡後に明石姓に復帰しています。
※もちろん200年以上も先の話なので、本人が復帰したのではなく、子孫が明石姓に戻したという意味。


「とんだ不調法(ぶちょうほう)でござった」伊達政宗 真田丸
また明石全登の一族の誰かが、伊達政宗に保護されて生き延びたという説もあります。
春ちゃんたちも助けたし、伊達政宗カッコイイ!!


元国際連合事務次長の明石康
元国際連合事務次長の明石康さんは、この伊達政宗が助けた明石一族の生き残りの子孫だそうです。
歴史は繋がっているのですなぁ。。。


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