真田丸・その後(10)真田信尹はドラマと実物の印象が違う?明治維新まで続くその家系について

真田信之と真田信尹 真田丸
ドラマでは渋い役ドコロだった真田信尹(のぶただ)。
彼は大阪の陣の後、どういう人生を歩んだのでしょうか?





「気に入らん!!大名の座とは、力ずくで勝ち取るものではないのか」真田昌幸 真田丸
と、その前に真田信尹についておさらいしておきます。
信尹は真田幸村の父・真田昌幸の実の弟。
当然、幸村にとってはオジサンということになります。


真田信尹 真田昌幸 真田信繁 真田丸
ドラマでは兄・昌幸のために使者を勤めたりと、兄弟が協力し合いながら戦国時代の荒波を乗り越えたような描かれ方でしたが、このあたりは事実かよくわかりません。
とういのも、真田昌幸も信尹も一度は真田家から別の家に養子に出ているからです。
その後、ドラマには出てきていない昌幸の兄たちが死亡するなどがあって、真田姓に戻っています。


「弱っているから好機なのではございませんか?」真田信尹 真田丸
ドラマでも単純な昌幸の家来としてではなく、徳川家康の家来になるなどしている信尹。
昌幸との兄弟仲が良かったかどうかはわかりませんが、一定の距離を置いた間柄であったことは間違いないでしょう。
当時、兄が大名であれば、弟が家来になって支えるといったことはよくある話。



「秀吉を支え続けた大和大納言・豊臣秀長は天正19年1月22日。秀吉を残して52歳でこの世を去った」 真田丸
その好例は、ドラマでも出てきた豊臣秀吉の弟である秀長でしょう。
しかし、兄の家来として生きていけば、兄を超えられないのは道理で、そういう人生を好まない弟が独立した動きをするのもまた、戦国時代で珍しくはありません。
信尹もまた、兄・昌幸のベッタリと家来になることは避け、自分の道を歩んだのでしょう。


真田信尹 真田丸
ドラマでは、幸村に徳川家康からの裏切りの条件を伝達する役割を果たしていましたが、実際、こういった使者の仕事をメインとして、徳川家康に仕えていたようです。
その結果、大坂夏の陣が始まる時は1200石から5200石に領地を加増されています。
真田幸村を裏切らせるという仕事は果たせていないのに、領地を増やして貰っていることから、何か別件で功績をあげていたということになりますね。


真田信尹 真田丸
その後は徳川家の家来として天寿を全うし、享年86歳。
真田信之も長生きでしたが、この方もなかなか長生きしています。
※信之は93歳まで生きた。
子孫は旗本として江戸幕府に仕え、明治維新まで続く事になります。

【旗本(はたもと)
徳川家の直属の家来で1万石未満の武士のこと。
大名ほどの収入は無いが、将軍に会うことができる階級で、殿様と呼ばれる。


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