真田丸・第五回「窮地」(1)本能寺の変は織田信長が死んだことよりも、織田信忠が死んだことが大きかったというお話

本能寺の変 真田丸
前回の続きということで、本能寺の変からです。


二条城で織田信忠も自害 真田丸
二条城で織田信忠も自害。
本能寺の変の信長が死ぬシーンを描かず、二条城の織田信忠が死ぬシーンを描くのは、
おそらく大河ドラマ初じゃないでしょうか(笑)
というか、歴史ドラマや歴史小説、漫画も含めて多分初。


田信長といた本能寺と、織田信忠といた二条城は、たった2~3kmしか離れていません 真田丸
織田信長といた本能寺と、織田信忠といた二条城は、たった2~3kmしか離れていません。
歩いても数分という距離でして、明智光秀が織田信忠も同時に襲ったのは当然のことと言えるでしょう。


こちらが勝者・織田信長の息子・織田信忠。 真田丸
織田信忠は、もちろんこの人。
父である信長は、嫡男である信忠に跡を継がせるため、着々と準備をしていました。
例えば、既に織田家そのものは、織田信忠が継いでいました。
織田信長は織田家の殿様ではなく、身分的には隠居爺だったわけですね。
もっとも全軍の指揮は織田信長がとっていましたから、引退しているわけではありませんけども。
今風に言うと、織田信長社長は会長職に退いて、息子の信忠に社長は譲ったが、会社全体の指示は相変わらず出していたといった感じです。


織田信忠が出したもう一枚 真田丸
また、織田信忠は、主だった戦いの大将としても戦っていました。
今回の武田家との戦いは、大将は織田信忠でした。
真田昌幸を書状の件で詰問したのも信忠でしたね。


信忠には・・・
織田信雄 
信雄(のぶかつ)


織田信孝
信孝(のぶたか)といった兄弟がいました。
父・織田信長は、自分が死んだあと、家督争いで兄弟が戦わないように、信雄は北畠家に、信孝は神戸家に養子にだしていました。
※北畠家・神戸家を取り込むという意図もありましたが。


「なにゆえ上杉にも良い顔をした」織田信忠
つまり、織田信長の正当な跡継ぎは一人しかいなかったわけです。
もし、織田信忠が生き残っていれば、織田家の家来たちは自然と織田信忠のもとに集まって、今まで通り働いたと思われます。
つまり、織田信長が死んだだけのことで、織田家はこれまで通りだったということです。
こうなれば、後の歴史は随分と変わったはずですよね。


織田信忠の切腹シーンも非常に珍しい 真田丸
もちろん、実際は織田信忠はここで死んだわけですけども。
それにしても、織田信忠の切腹シーンも非常に珍しい。
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信忠役の俳優のほうが信長のイメージに近い。
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