真田丸・第五回「窮地」(17)本能寺の変を未だ知らない滝川一益。しかし織田信長が信頼する歴戦の勇士なのです。

徳川家康と本多忠勝が仲良しに 真田丸
伊賀を越える山中で一休みの徳川一行。
徳川家康と本多忠勝が仲良くなってますね(笑)




明智軍に見つかりながらも 真田丸
その後、明智軍に見つかりながらも、更に逃げます。


真田親子は滝川一益に呼ばれて厩橋城に参上 真田丸
一方、真田親子は滝川一益に呼ばれて参上しております。


「ようやく関東の仕置もひと通り済んだ」滝川一益 真田丸
「ようやく関東の仕置もひと通り済んだ」

【仕置】
行政・司法といった意味。
つまり領地のルールなどを定めたりしていたということです。
刑罰・処罰と言った意味もあり、今でも子供を叱ることを御仕置といいますよね。


戦国時代の関東 真田丸
ただ、関東と言ってはいますが、当時の関東と認識としいたのはこの地域。
この中で、織田家の領地は甲斐だけだったりします。
しかも当時、滝川一益が任されていたのは、関東の中では、その甲斐の領地だけでした。



織田家重臣・滝川一益 真田丸
ただ、関東管領(かんとうかんれい)という、関東全体の管理をする役職を織田信長から命じられていたので、滝川一益は「関東の・・・」と言ったと思われます。
信長とすれば、将来は本当の意味で関東全体を任せる意図があったのだと思います。
むろん、このことは信長の死でご破算となってしまいますが。
※信長が任命したのは関東管領の職ではなく、関東守護などという別の名前だったという説もありますが、いずれにしても、信長が滝川一益に関東を任せようとしていたことは変わらないと思われます。


「近場で、どこか良い湯治場をご存知ないかな?」滝川一益 真田丸
「近場で、どこか良い湯治場をご存知ないかな?」

まだ本能寺の変については知らないみたいですね。
というか、そんなことで呼び出したんかい!!


「少々休みたい」滝川一益 真田丸
「少々休みたい」

若々しく見えますが、滝川一益は当時60前です。
滝川一益役の段田安則さんとほぼ同年代ですね。
少々休みたくて当然です。
平均寿命の短かった当時だと、もう隠居していてもおかしくない年齢でして、信長も滝川一益を気遣って、武田家との戦争のおりには、馬を一頭送ったという逸話が残っています。


厩橋と草津の距離 グーグルマップ 真田丸
真田昌幸は草津をお勧めしましたが、滝川一益のいる厩橋からは100km近く離れていおり、決して「近場」ではないですけどね(汗)
くだらないことで呼び出した滝川一益への当て付けでしょうか(笑)





間もなくこの日の本(ひのもと)から戦がなくなる 滝川一益 真田丸
間もなくこの日の本(ひのもと)から戦がなくなる。
北は奥州(おうしゅう)、南は九州まであらゆる大名が上様のご威光に従うと使いをよこしてきておる


奥州・地図
【奥州】
奥州は赤い地域。
陸奥(むつ)といったりもします。

当時は北海道を日本と考える習慣が薄かったので、「北は奥州、南は九州まで」というのは、日本全国という意味です。

【ご威光】
人をおそれさせ、従わせる力や勢いのこと。

というわけで、現代風に言うと、「日本全国津々浦々、信長を恐れて従う」ということになりますね。


「比類無き力を持てば、戦そのものが無用になる」滝川一益 真田丸
比類無き力を持てば、戦そのものが無用になる」

【比類無き】
比べる対象がないほどすばらしいという意味。

突出した軍事力を持つ者がいれば、かえって戦争がおきないと言っているわけです。


「最初は夢物語と思っておった」滝川一益 真田丸
「最初は夢物語と思っておった」

滝川一益がいつから織田信長の家来であったかは、実は謎なのですけど、織田信長がまだ尾張(現在の愛知県西部)しか持っていない大名だった頃からの家来であったことはほぼ確実です。
ですので、織田信長が天下を取るのに戦ったほぼ全ての戦いに参加している歴戦の勇士なのです。

結局、滝川一益は未だ本能寺の変を知らなかったですね。
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